道祖神桜が咲き始めた


 
 日の出が早くなってきた。太陽の光を背に受けて道祖神桜まで行ってみた。数日前はつぼみ膨らむだったが今日はどうだろう、舗装をしていない野の道ばかりをつないでいった。今年は畦焼きをした田んぼが多い。畦焼きしたあとは草が黒く焼け、そこから無数のツクシの出ているところがあった。農家と農家の間の脇道を上ると写真家の中沢さんの家の前に出た。中沢さんの愛犬トムの姿が見えない。今朝歩いたコースも、フットパスのコースにふさわしい。中沢さんがつくったと聞いた道祖神桜は今は安曇野の名所になっている。
 桜は開花していた。やはりカメラマンも来ていた。二人だ。畑の中に三脚を立てている。こういうマナー違反がよくないんだなあ、だから地元民とトラブルを起こすんだと思ったが、畑は何もつくっていないから、まあいいか。
 カメラマンは桜とその背景の雪の常念岳を撮っている。桜の前をランを連れて歩いていくと、
 「犬も撮らせてもらいました」
 老カメラマンが声をかけてきた。
 「いいですよ」
と応えて、神社のほうへ向かった。

 シバザクラが咲いている。グランドカバーのこの花もほんわか柔らかく美しい。シバザクラはイチイの木の根方に日を受けて広がっている。シバザクラの隣は野菜畑だ。ネギの畝があり、その横に小松菜が芽を出した。ニンジンはまったく芽を出さない。シュンギクも芽が出てきた。苗で買ってきたキャベツとレタスは順調に大きくなってきている。朝方は霜が降り、昼間はシャツ一枚になるほど暖かい日が数日続いている。霜よけに夜の間は野菜にビニールの覆いをしている。

 
 今はどこの家の梅の花も満開だ。我が家の梅も花をびっしりつけている。梅の木の剪定が、もうひとつよく分かっていない。多くの果樹は冬の間に剪定をする。しかし梅の場合、それとは異なる説明もあった。花が咲いてから切るという説明もあった。梅は実をとりたい。大きないい実をつけてほしい。

 よく手入れされた庭木、こういう家が昔からのこの土地の裕福な家のスタイルだ。「穂高高原」を著した相馬黒光は、明治時代、この地に仙台から嫁いできて、空を突き刺すように手入れされた庭木のことを書いていた。この地の伝統であるが、そこに自家の繁栄を願い、それを他者に示したいという願望もあるのだろうか。黒光の夫、愛蔵は春蚕、秋蚕などの蚕の飼育方法の改良でこの地の養蚕業が盛んになった。しかし養蚕は昭和30年ごろに終わった。相馬愛蔵夫妻は、明治の時代に東京に出て「中村屋」をつくった。碌山の彫刻の名作「女」のモデルは黒光だと言われている。
 古くからの住人とは別に、終戦後にこの地に入植した外地からの引揚者もいた。その人たちは粗末な小屋のような家を建てて、荒野を開墾した。精魂傾けて血のにじむ暮らしの結果、その後に立派な家を建てている。