「教育をめぐる虚構と真実」(春秋社)

       藤原和博、和田中学校での実践

                      
                    柿の樹


東京の和田中学校校長を務めて、つぎつぎと独創的な実践を行なった藤原和博氏。
民間企業から2003年に校長になり、2008年に任期を終えられた。
その5年間の実践については、賛否こもごもだが、
実際の現場を見ずに、情報だけでなんとなくその実践を批判したり、肯定したりして、
それ以上深く考えることもなかった。

 
ところが今回、これはすごい実践だなあ、と思いはじめた。
それは、この10月に出版された、「教育をめぐる虚構と真実」(神保哲生宮台真司<春秋社>)を読んだからだ。
はじめに神保・宮台と藤原和博氏の対談が、載っている。


だいたいが校長という位置に付いた人で、創造的な実践をやった人は数少ない。
藤原氏がこう語っている。
「教頭を何年もやっていると疲れてしまうんです。本当に文書仕事がすごい。
それで試験にとおって52歳くらいで校長になると、それより上もないし、疲れ果てていることもあって、
双六のあがりって感じになってしまう。」


だから保守化して、失敗しないようにだけ考えて、定年までその地位で生きながらえようとする。
校長が離任の挨拶でよく述べる言葉に、
大過なく過すことができ‥‥」というのがある。
「何がやれたか」ではなく、「無事に定年を迎えた」喜びがこめられている。


宮台がこう言う。
「学校は社会のなかにあります。教育は社会の要求に応えるべきものです。
では社会にとって教育が必要なのはなぜか。また社会が教育に何を要求しているか。
教育の世界しか知らずに『あがり』で校長になった人は、社会を知らないから、分からないのですよ。」


藤原氏が、やり始めたことは、主に次の3つ。
(1)【よのなか】科の授業
(2)地域本部をつくる
(3)「土曜寺子屋」の実践


(1)【よのなか】科の授業はずべて公開されている。
三年生の授業で、水曜日の午前中、90分間行なわれている。


藤原 「【よのなか】科の授業は正解がひとつでない、あるいは、正解の存在しない問題を、試行錯誤の中でどう考えるかという能力を高めるものです。‥‥
ハンバーガー店の店長になってみよう』という授業をやります。
地図を示して、どこに出店すればいちばんもうかるか、生徒ひとりひとりに自分で考えてもらい、
そのあとグループになって考えてもらって、それを大きな地図上でプレゼンするんです。
次に、はやる店とはやらない店がどう違うのかを考えて、経済の本質を価値論で語る4回から5回のシリーズです。
その次は、『政治の本質を税金の流れで考えてみよう』という授業です。
日本の教育の奇妙なところは、税金の流れを教えないで、参議院があって衆議院があってという表面的なことばかり教えるんです。
だから生徒はわからない。‥‥
それから少しずつ、現代社会のかなり深い問題をやっていきます。
殺人を犯した少年をどう裁けばいいか模擬法廷で考えてみるとか、
もし人に迷惑をかけないで自殺する方法があればそれはいいのか、
たとえば富士の樹海に黙って一人で入って死ぬのは是か否か、‥‥」


【よのなか】科の授業のなかで驚いたのは、「ホームレス」の授業だった。


藤原 「(はじめに)生徒たちが今もっている偏見とか先入観とかを全部出してもらうんです。
『駅で寝ていて汚くて臭くて働かない』とか、『ダラダラしている』とか、なかには『襲ってくる』なんて‥‥。
とにかく思っていることを全部出してもらって、次の展開として本当のホームレスを見てもらい意識がどう変わるか考えさせる授業です。」


いやはやここからが感嘆する。
藤原氏は二人のゲストを授業に呼んだ。
一人は、お金がないまま世界に飛び出し、食いつなぐために炊き出しをしているところでボランティアをしながら、あちこちの国を回る。最後はアフリカ・ルワンダの難民キャンプ。
それから日本に帰ってきて、新宿の公園のホームレスと半年つきあい、ホームレスみんなで街をきれいにする活動を始めた。
そのつぎに荒れた農地を借りて、ホームレスを連れて行って、有機農法で米づくりをはじめる。
もう一人のゲストは、本当のホームレス。元は遠洋漁業をやっていた漁師。その人は生徒の前で話し始めると、生徒の真剣なまなざしに、泣き出してしまう。


二人の話はたいへんなインパクトがあり、説得力があった。
本物の力は、生徒をひきつける。


藤原 「はじめはみんな、パターン認識にこりかたまっているんです。
授業でもふつう正解主義で教えますよね。問題には必ず正解がある。あるいは、テレビもコマーシャルも、パターン認識をあおっている。
結局、これまでの社会は、パターン認識力がどれくらい早いかを競わせる社会なんです。
でもこれからの社会では、既存のパターン認識をはずして、自分自身の思考回路でどう判断するのかが大事なので、それを教えようとしているのです。‥‥
たしかにホームレスの人には『汚い』とか『臭い』というイメージがあるかもしれない。
しかし、その前に、そうなるまでの一人一人のストーリーがある。
それぞれの人生がある。
ホームレスって総称しちゃいけないんです。」


ぼくの知った藤原氏の実践は、ほんの一部分に過ぎない。
けれど、実践のすごさは想像できる。
一人の人物の創造性と構想力、実践力、それがこれまでの教育の枠を突破している。
学校という枠をつくってきた教師たち、その閉塞の壁を突破していく力、
「地域本部をつくる」、「土曜寺子屋の実践」、これらも合わせて学び、そこから力を得ていかねばならないと思う。