信州地大根と牧の喜作


ゴールデンのカイちゃんを連れてヒデさんが、朝もやの中をやってきた。
ランより大きいカいちゃんとランは仲良しで、道で出会うと二匹は大いにじゃれあう。
信州地大根のことを、ヒデさんに訊いてみた。 
「信州地大根は、大きくならないだ。これほどだね。」
両手の人差し指で15センチほどの間隔をあけてみせた。
「そんなもんですか。うちのが大きくならないから肥料不足かと思ってね。」
「いや、そういうもんでね。大きくならないほうがいいね。形からネズミ大根とも言いますね。」
大根のおしりが、ネズミのおしりとしっぽに似ているからだな、なるほど。
「最初の1本を食べたら、息もできないほど辛かったですよ。」
「そうそう、辛味大根でね。辛いね。土地によって、辛味が少なくなることもあるね。」
辛味があるから、ソバつゆにおろして入れたりする。
それを知らないで、この前、初収獲の1本をすって、つゆに入れたら、
辛いのなんのって、のどが痛くなるほどだった。
わさびより強烈だよと、鼻から息を吐き出しながら思ったほどだ。
「信州地大根は、漬物にもいいですよ。小さいからそのまま葉っぱをとって干すんですよ。
干して、ねじれるぐらいにやわらかくなったら、漬物の元で漬けるといいですよ。」
「やっぱり、訊いてよかったですよ。」
「この辺りでは、牧の大根がよくつくられますよ。」
「牧というのは、あそこの牧?」
「そう、穂高の牧ね。」
ヒデさんは山のほうをあごでしゃくった。
道路山麓線を行けば、牧の集落がある。そこにうまい蕎麦屋がある。
「あそこの特産ですか。」
「そう、それをこの辺りでも作っているだよ。」
「牧というと、牧の喜作という山のガイドが昔いましたね。」
「そう、その人の出たところだね、小林喜作。喜作新道を作った人ですよ。槍ヶ岳の殺生小屋をつくった人だね。」
「殺生小屋もつくりましたか。」
「うん、たしかね」
猟師で山案内人、中房温泉から燕岳に登り、縦走して大天井岳から東鎌尾根をよじて槍ヶ岳に登るコースの、
東鎌尾根のルートを独力で開削したのが喜作だった。
へえー、そうだったのか。あの牧集落を通るたびに、そうではないかと思っていたが、やっぱりそうだった。
「あの集落にはそういう人らがいたね。そこのどこか、公民館かな、喜作の使っていたものとか保存展示されているらしいね。喜作は、最後殺されたね。」
「え? どうして?」
「ねたまれたんじゃないかな。」
それにしても、まあ、どえらい仕事をやったものだ。
標高三千メートルの岩石るいるいの山肌を削りとり、急峻なルートに道を刻んだ。
距離も長い、全部機械を使わない、ツルハシやスコップなどの手仕事だ。
積雪期に入ると仕事は出来ないから、夏をはさんだ期間になる。
それを一人で行なう。
この仕事はただごとではない。
青年時代、その偉業と伝記を山本茂美が本に著したのを買って読んだ。
興奮して一気に読んだが、その本は今は絶版になっている。


朝の散歩の短い時間だったが、土地の人の話はもっと聞きたい。
道が分岐してヒデさんは左に折れて帰っていった。