大地の恵み


サトイモを収獲した。食べられなくて台所に転がっていたイモを、この春に庭の片隅に植えた。そこは生ゴミや枯れ草を埋めたりしていたところで、サトイモにとっては最適の、有機物の豊富な土になっていた。夏の日照りのときも水やりをして育てたから、大きな葉っぱを広げるようになり、霜が降りた翌日に掘りあげた。裏のタマネギの種作りをしているおじさんに訊くと、茎の根株の部分(イモのくっついているところ)もおいしく食べられるということを教えてもらい、そこを切り取って煮たら、なかなかおいしい。サトイモも寒さに弱いので、家の中のサツマイモを保存しているダンボールのなかに一緒に入れた。
 霜が降りる前に掘りあげる、と野菜の本に書いてあった生姜も、掘り起こした。たくさんあって、大地の恵みに満足、満足。洋子が作ってくれた、鯖の煮付けに新生姜を切って入れたのは、実にうまかった。生姜を風邪の薬にしてくれた中国の女の子のことを思い出す。北京の労働部の研修所で教えていたとき、僕が風邪を引いた。農村出身の女の子は、生姜と黒砂糖を煮て、風邪の特効薬をつくってくれたことがあった。懐かしい思い出。
 掘り起こした生姜。春に種生姜を植えて秋に収獲する、それでこれだけ採れるんだなあ。結局、生姜の花の咲くまでに至らず、ジンジャーの香りはかげなかった。
 サトイモの茎はズイキ、干してイモガラにし、食用にしようと、捨てないで今乾かしている。開拓地で初期から農業をやってきた人たちから学ぶことは多い。タマネギの種は、9月10までに播いたらいいと教えてくれのはヒデタケさん。ヒデタケさんのつくった米をわけてもらった。
 山東白菜(山東菜)が大きく育ってきた。普通の白菜のように固く結球しないで、半結球する。作りやすく美味、と書いてあったので、種を播いてみたら、ぐんぐん大きくなった。柔らかくて、煮物にいい。奈良の御所で初めて白菜を作ったときは、猛烈な虫の食害にあい、毎日二時間ほど虫取りをしなければならず、250本の苗が、最後60本ぐらいになったことがあった。その数株を今は亡き教え子の小谷君に送ったら、これほどうまい白菜を食ったことがないと感激の葉書をくれた。胸が痛む追憶。奈良に比べ、安曇野は虫の被害が、たいへん少ないので、ありがたい。
 栗、クルミギンナンにつづいて、ナツメを拾ってくる秋の散歩。ナツメは、道に落ちていても拾われずに箒で掃かれてしまう。拾ってきたナツメを洋子が甘煮にした。これはまた、なかなかいいデザートになる。中国では、ナツメの入ったお粥がおいしかったが、今度ナツメのお粥をつくりたい。我が家の庭に植えたナツメの樹は、まだ小さくて、2個の実がなっただけだった。ギンナンは今土に埋めて皮を分解させている。去年のギンナンの、土の中に取りわすれた1個がこの春に芽を出し、育っている。イチョウは巨木になるから、どうしようかな。
我が家では、洋子が、パンもウドンも信州産の小麦粉を購入して、天然酵母をおこして作ってくれている。奈良では、小麦の栽培もして、自分で粉挽き器を回して粉にしていたから、これから、少しばかり我が家でも栽培しようと、今年ほんの少し庭に播いて採れた小麦の種を昨日、庭の片すみに作った畑に播いた。例の伝説のエンドウ豆、エジプトのツタンカーメン王の墓から出てきたというエンドウ豆、白馬村の平岡君からもらってきたのを庭で栽培し、とれた種を保管してこの秋に播こうと袋を開けたら、どの豆のさやの中にも、虫が入っていた。豆のなかに小さな穴があいている。しまった、やられた。冷蔵庫で保存すべきだった。いくつか被害にあっていないのを播いたが、どうなるか。