「安曇野スタイル2008」


市内の工房やギャラリー、美術館から農家まで142軒がネットワークを組んで、
一斉に公開展示を行なった。
文化の日までの連休、
洋子と二人で何軒か回った。

白壁の土蔵がギャラリーになっている。
もとは米倉だったそうで。
蔵(くら)の外の庭に置かれたテーブルで、相当な年配の姉妹が昼食を食べていた。
テーブルの後ろにパッチワークの大作が竹ざおから吊るされている。
米倉は内装を変え、窓を開けて、ギャラリーにしたのは5人姉妹。
名づけて「蔵布陶」、クラフトと読むらしい。
1階は古布と雑貨の展示・販売。
一段が足を踏み外しそうなぐらい高い階段を上ると、
2階は雑貨や人形、パッチーワークなどが展示されている。
5人姉妹はこの地で育った。
5人は成人してから家を出てばらばらになった。
それから三、四十年、
仲の良い姉妹は「蔵布陶」に毎月一週間集まって作品を持ち寄り、
店を始めたのだった。
年をとって、これほど仲よく一つの活動に結ばれた姉妹もめずらしい。


このイベントは「安曇野スタイル2008」。
「文化(アート・自然・暮らし)を通して、安曇野の魅力を多くの人に知っていただこう、人と人のつながりを育て、個性・魅力あふれる安曇野にしよう」と、5年前に生まれ、一人から発した動きが、年々参加者を増やし、安曇野に広がった。
参加者は、工房・アトリエ(木工芸、陶芸、ガラス細工、染色・織物・布工芸、金属工芸、書画など)63、美術館・ギャラリー15、手作りの店35、農園、宿など142が、ネットワークを組んでいる。


次に訪れたのは、築110年の古民家。
田圃の中を行く。
現れたのはなんとどでかい、二階建ての農家。
赤沼家」、昔は天蚕農家だった。
「天蚕(てんさん)」とは、
ヤママユガという蛾の幼虫で、色は淡い緑色、
体長は約8センチメートルある。
クヌギやナラの葉を食べ、黄緑色の繭をつくる。
昔、2階は天蚕を飼って、ヤママユをとっていたのだ。
訪れた人と家人と、この期間ここでライブをする人、工芸品を展示している人、
誰が誰やら分からない。
「どうぞ、どうぞ」と声かけられ気軽に入って、あまりの広さと、民芸調度と、梁や柱、家のつくりに圧倒される。
この家の主らしき人に住み心地を聞けば、
「冬は部屋のなかも外も変わらないほど寒いですよ。
だから暖房は、限定して、生活空間だけにしています。
夏は、涼しいですけれどね。」
この家の蔵は、スタジオに使われていた。


三軒目の訪問。
染色工房、ここは現代の普通の民家だった。
二十数年前に夫をなくしたというかなりの年配の女性が、若いときに京都で習って続けてきた友禅染めを、
この安曇野に来て続けておられる。
居間が展示室で、友禅の着物や暖簾、タペストリーがおかれ、そこで抹茶を入れてくださった。
おしゃべりは長々と、女性の人生、有為転変におよんだ。
さらに現代日本の、伝統文化の継承について。
着物を着る人が激減していて、
着物の購入も少なくなった、
このまま行けば、日本は伝統文化、古典を見失っていくのではないかと嘆かれる気持ちにぼくも同感する。
手描きの友禅の模様は、野菜や草花、見事なものだった。
90近いおばあちゃんの世話を続けて、各種の染めの創作を続け、
「60を越えて、これからの人生を考えたら、やっぱり伴侶がほしいから、
見つけようかしら。」
バイタリティーの盛んなことに脱帽する。


四軒目は、今年初めてネットワークに参加した「地球宿」。
イベントのカタログの最後のページに紹介された。
望君、やったね。
去年、昔養蚕をしていた借家をリフォームした、いかにも庶民の家。
期間中、ライブを行い、僕らが訪れたときはバイオリンの演奏が終り、
アキオ君のギターによる語りと自作の歌の演奏に移るときだった。
この期間は、カフェもやっている。
コーヒーとケーキを注文し、演奏を聴く。
アキオ君のレパートリーは、リンゴ園と家族にテーマをとった歌が多い。
長男が生まれたときにも作詞作曲し、今年三人目の子が生まれたときも歌を作った。
りんご園を始めたときに作った「りんご園のテーマ」のなかに、彼が好きな賢治の詩の一節が出てくる。


   「まさしきねがひに いさかふとも
   銀河のかなたに ともにわらひ
   なべてのなやみを たきぎともしつつ
   はえある世界を ともにつくらん」

この一節は、アキオ君の農場の作物を発送する箱にも書かれている。
「地球宿」の主、望君と話す。
「今日もたくさんの人が来てくれているねえ。」
気軽に来やすくて、心なごみ、落ち着く。
そういう庶民の集いの場になりつつある。
望君の伴侶、エッちゃんの人柄も心を安らかにする。
背戸の畑につづく裏庭ではたくさんの近所の子どもたちが遊んでいる。