虚構によってつくられる戦争


新聞をざっと読んでいくと、記事の方からこちらの眼に飛び込んでくることがある。
飛び込んでくる記事は決まって、こちらのアンテナにひっかかる内容である。
11月6日の場合、声欄を読み飛ばそうとしたら、一つの投書が飛び込んできた。
「元兵士である。」という書き出し、投書の主は94歳とある。
要約すれば、こういう内容だった。

       ☆   ☆   ☆

私は1939年に25歳で応召。中国戦線に二度、その後シベリアに抑留された。
中国では無数の友を失い、シベリアの凍土には今も多くの友が眠っている。
戦後63年、戦場を体験した人が少なくなり、戦争の記憶が失われるにつれ、
戦争を肯定し命を散らすことを美挙とたたえる風潮が際立つ。
恐ろしいことだ。
「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」と主張する論文を自衛隊のトップが書いたということは、
自衛隊そのものが再び軍隊に化している証ではないか。
我々は中国で、言うに言われぬ体験をした。村を荒し、村人を手にかけた。
あの戦争は、まさしく「侵略」だった。
日本の占領が「圧制からの解放」などとは、きれいごとにすぎない。
中国人民を苦しめた我々の痛みが、空幕長にわかるのか。
頭の中だけで、戦争を語るのはやめていただきたい。


       ☆   ☆   ☆

94歳、よく思い切って筆を取られた。
生涯消えることのない、心がうずく戦争体験の中身は、想像もつかない。
侵略戦争にかりだされて死んでいった戦友や自分たちが殺してしまった人々のことを思うと、当時の軍部と国家に今も怒りが湧く。
かの大戦を体験したことのない者が、
自分の思いで選別した資料や情報によって、過去の歴史を都合よく脚色することは許されぬ。
意図的でなくても、
自分の主観的な思いに合致した情報をつなぎあわせれば事実とは異なる歴史が生じる。
論文を書いた目的が、自衛隊の「意義、目的、誇り」に影響を与えることにあるとしても、まちがった「史実」への依拠はどういうことになるか。


哲学者の内山節が「戦争という仕事」(信濃毎日新聞社)にこんなことを書いている。要点をまとめると、


       ☆   ☆    ☆

 「近代国家が形成されてから以降の『戦争という仕事』には、一つの約束事がある。それは軍隊の規模、戦争の開始や基本的な戦略、終戦などは、政治の側が決めることであって、軍人はこれらのことに対して、判断や意思決定をしてはならないという約束事である。
 この約束事は、戦後の日本では、文民統制という言葉で語られてきた。
 そう考えていくと、私はこの仕事のかたちがつくりだしている、ある種の問題点を問わなければいけない気持ちになってくる。
 現実の問題としては、軍人が自分で判断し、勝手に戦争をはじめられたのでは困る。しかし、にもかかわらず、判断を捨て去ることによって成り立つ仕事が人間の仕事として肯定されてよいのだろうか。
 私は、人間的に生きることと、人間的に働くこととは一体のものだと考えてきた。誇りを持って人間的に働くことと、誇り高く生きることとは、強い結びつきを持っている、と。
 そして、誇り高く人間的に働くためには、自分の労働がはたしている役割を自分で判断し、労働のあり方も自分で工夫できる、つまり、判断し考える部分と具体的な作業の部分とが、自分たちの手のなかにある必要があるだろう。それぞれの人々が自分の労働の主人公になれなければ、労働に誇りを持つことはできようもない。
 ところが近代国家における軍人という仕事は、この可能性を閉じている。自分で判断してはならず、仕事は命令に従うかたちでしか成立しない。
 軍人としての誇りは、国家や政治が正しい判断をしているという前提がなければ成立しない。正しい判断にもとづいて下された命令に従うという前提があってはじめて、正しいことを実行しているという仕事の誇りは生まれるはずである。
 ところが、歴史を振り返れば、国家や政治が誤った判断をした例は、枚挙にいとまがない。とすると、『戦争という仕事』は、国家や政治はつねに正しい判断を下しているという虚構を成立させることによって、『虚構の労働の誇り』を生みだすことになる。
この構図は、現代の労働の世界と共通性を持ってはいないだろうか。企業は正しい活動をしているという『虚構』、この『虚構』があってこそ、私たちはその命令の下で働くことに誇りを感じることができる。
 『戦争という仕事』は、今日の仕事の世界を象徴している。戦争という犯罪のなかに、現代の病理が隠されていると思う。」


日中戦争も虚構の幻想によって行なわれ、泥沼の中で敗戦に至った。
現代のイラク戦争も、虚構によって始められ、今は、その虚構が暴露されているにもかかわらず、抜けるに抜け出られない泥沼の中で、アメリカ兵は戦っている。それが破綻を迎えている。