自動販売機


ぼくはタバコを吸わない。
だからタバコの匂いには非常に敏感で、
公立学校の教員時代、階段を上がっていって、
2階や3階の長い廊下の端に立つと、
5、60メートル向こうのもう一方の端の方からかすかに匂ってくるタバコの匂いを、
ぼくの鼻はたちまちかぎとる。
だれかタバコを吸っているな、
ぼくはさりげなく廊下を進んでいく。
当たり。 
端にあるトイレのなか、つっぱり坊主の紫煙が漂っている。


タバコの購入にカードが必要というシステムが導入された。
未成年者は買えないというシステムのようだが、
買おうとするものはいくらでも抜け道を見つける。
今、さらにタバコの価格を上げようという意見がある。
タバコ税を上げれば、国の収入も増える。
それを福祉に使うといいではないか。
日本は、タバコの購入があまりに自由すぎると、
日本にいる欧米の人たちが言っているようだ。


自動販売機は便利だ。
便利であればみんなは喜んで利用する。
その結果、設置者は金がもうかる。
しかし、自動販売機は普及しすぎた。
浪費するエネルギーが気になる。
飲み物の自動販売機は、ホットとコールドに使う電力の全国総計はどれぐらいになるだろうか。
莫大なものになるだろう。
電気を煌々とつけエネルギーを使用する24時間営業のコンビニの深夜営業を規制しようという自治体もあるらしい。
ならば、街の中いたるところにある自動販売機は、それ以上ではなかろうか。


この自動販売機は多く道端に設置されている。
景勝の地で、自動販売機が、風景や情緒をぶっこわして、どうどうと胸を張って居座っている。
のどかな風景の中に、キンキンぎらぎら、鎮座する異物。
しかし、便利だから異物も異物感を持たれない。
田舎でもどこでも、それがあるからいつでも飲み物が手に入るではないか、
必要だよ、もう無くせないよ。
そういう意見もあるかもしれない。
慣れるとそうなる。
看板も、幟も、自動販売機も、傍若無人


ぼくは空のペットボトルに、家でお茶を入れて持っていく、
それで十分だ。
CO2を減らす、エネルギーの使用量を減らす、家計を助ける、
たった1本のペットボトルだろうが、
ちりも積もれば山となる。
愚公 山を移す。