安部敏一さんの歩いた自然<1>福島原子力発電所

 「風が吹くと、この木の葉が音を立てます。それで、ヤマナラシと言うのです」
 高々と空に立つその木は、風が来たとき、なるほどさらさらと音を立てた。ヤマナラシはポプラの仲間で、楕円形の葉っぱは風に吹かれると白っぽい葉裏を返して、山を鳴らした。
 十三年前、阿部さんの家を訪れたときのことだった。阿部さんの家の庭には、雑然としか言いようのないほど、自由奔放に草や樹が繁茂していた。植物がそこに芽生えたら、その命を愛しんで自由に育つのを観察しているうちにそうなった。ぼくは京都の四手井綱英先生の家を訪れたときの印象に共通するものを感じた。森や植物を研究しておられた四手井先生の家も、木や草がうっそうと繁り、古民家のなかは薄暗かった。阿部さんは宮城県の小学校、中学校の先生、四手井さんは京都大学の教授、それぞれ違う所で、植物の研究に情熱を傾けてこられた。没頭する生活というものはかくなるものか。
 阿部さんの植物に関する知識と愛の深さには驚嘆する。今はもう消滅してしまった「理想の学校をつくる会」の集い・「森の学校」が、仙台でひらかれたとき、安部さんも参加された。その観察会で森を歩くと、阿部さんは、これは何、これは何と、植物や昆虫について次々話される。クモの巣を払おうとすると、クモが巣を張るのにどれだけの時間と労力が必要なのかという話をされる。だから、みんなはクモの巣を払わず、その下をかいくぐった。リョウブの樹があり、昔はこの葉をご飯に入れて食べたということをそのとき知った。
 阿部さんは、「岩出山の自然通信」を発行し、それが2000年に単行本になった。(「岩出山の自然通信」安部敏一 無明舎出版
 この通信は、各地を歩いて観察したこと、発見したことを、記録として実に詳細に書かれている。福島県原子力発電所の周辺も、阿部さんは歩いた。

 「岩出山出発、午前7時6分の汽車に乗る。途中長町駅構内、タンポポが路床一面に咲いている。長町駅を過ぎ広瀬川の鉄橋を渡る。暖かい日である。常磐線新地駅付近、田に水が入り霧が立ち上っている。福島県大熊町大野駅下車、もう11時を過ぎていた。大きな駅舎である。ベンチには手作りの長い座布団が二枚敷かれていた。駅のそばに大きな案内板があり、『モリアオガエル生息地』と書かれている。‥‥(略)‥‥
 大熊中学校の土手にショウジョウバカマが咲いている。木がまばらに生えている林の中に見なれぬ草本を見つけた。春早く咲くトウダイグサ科草本、ナツトウダイだった。ワラビが芽を出し、タラも芽吹いている。
 大熊町から双葉町に向かう。ヒノキ、スギ、アカマツの林があり、林中にショウジョウバカマが咲き、アセビヒサカキ、リョウブ、ヤマツツジが生えている。
 前方に巨大な煙突が見えてくる。東京電力福島第一原子力発電所である。民家の土手に、シバザクラハナダイコンの花が咲いている。
 葉の木沢地区、自動車がたくさんとまっている。お経が聞こえる。お葬式があるのだろう。天気がいいせいか虫がたくさん飛んでいる。クマバチ、タテハチョウ、ベニシジミ、ルリシジミモンキチョウを見る。山道になり、坂を上りきったところで、昼食にする。熊の下地区、ツクシの先端が細くなり、スギナが芽を出していた。‥‥(略)‥‥
 山を下る。双葉町下条地区、水田と町並みが見えてくる。大きな建物は双葉町の役場だった。庁舎の前に、枝に実が残っている樹木がある。町木センダンとある。『センダンは双葉より芳し』、故に双葉町の町木に決めたのだ。‥‥(略)‥‥
 町通りに、『原子力、明るい未来のエネルギー、はつらつ路線、元気の出る道、うつくしま、ふくしま』と書かれていた。新山を歩いていてモミの木を見た。阿武隈山地のモミは別名ツバメモミともいう。葉の形からそう呼ばれるという。岩出山のモミはダケモミ、(別名ウラジロモミ)と呼ぶようだが、葉、樹形など理解したつもりだったが分からなくなった。」

 阿部さんは東北の豊かな自然の中を歩いて、たくさんの植物や動物に出会った。ところが、そこに顔を出していたのが、原子力発電所という異物だった。十年余り経って、異物は牙をむいた。異物は魔物となった。いったん躍り出た魔物は、完全に姿を消すことは不可能に近い。阿部さんは今、どうしておられるだろう。