自分を見つめた死刑囚(1)


      永山則夫無知の涙


1968年、4件の連続射殺事件を起こし、
4人を殺して逮捕された永山則夫は、死刑判決を受け、
97年に死刑を執行されてこの世から消えた。
永山は、刑務所のなかで本を読み、字を学び、生まれて初めてノートにつづった。
「私」とは何か、自分と向き合う毎日、それをノートに記した。
永山は、49年に青森の中学校を卒業後、上京し、
店員、自動車塗装工、日雇い労働者等の仕事を転々とした。
死刑執行までノートに書いた文章、詩は、「無知の涙」(河出書房新社)という題で出版されている。
83年に永山の書いた「木橋」という作品は、新日本文学賞を受賞している。


秋山駿は、「無知の涙」の末尾に評論を書いている。
そこに、こんな文がある。
「彼の犯行は、いわば『動機なき、理由なき殺人』という犯行である。
しかし、こんな言葉を見て、ああそうか、と簡単に分かったつもりになってもらっては困る。
それでは、何も解らぬというのと同じだ。
人のあらゆる生の行動には、なんらかの意味ですべて動機があり理由があるのだ。
しかるに、いま私は、『動機なき、理由なき殺人(行為)』というものがある、といった。
これは言葉上のパラドックス(逆理)である。
いや、これは単なる言葉上のパラドックスではない。
生そのもののパラドックスなのだ。
真にそれは存在する、よく視よ、このタイプの犯行がその存在を証明しているのだ。
『動機なき、理由なき殺人』というのは、人間の奥深くにある生のパラドックスの、その露出なのだ。
生の怖ろしさの源泉がそこにある。
だからその中心部は、不可解であり、謎なのだ。人間的存在の奇怪さというものが、その中心を貫く。
では、なぜ『動機なき、理由なき行為(殺人)』というものがあるのか。
明らかに、その行為の主人公が、彼の生の上で、生きるべき動機とか理由を、うしなってしまっているからなのだ。
生きているのに、生きるべき動機とか理由がない。これは、私には何もない、というのと同じことだ。
何もない――そこから、一つの犯行が生じる。」
と述べ、では、いったいなぜ、生きるべき動機とか理由がないということが生じるのか、何もないところからどうして犯行が起こるのか、
と問いかけて、それを追求したものが手記「無知の涙」であると書いた。


永山則夫の「ノート2」から、詩「俺は厭世家」


  「俺は想い出を追う
   追うのではない
   想い出が俺を追ってくるのだ


   俺の失敗ばかりの
   おもしろいことなんか
   一つもありゃしない


   胸が胸がきりきりむかつく
   誰でもない
   俺自身の自己嫌悪


   やめようよそう
   そう想うのだが実際
   どうしようもないものだ


   あとからあとから
   浮かびやがら
   ちきしょう あっちへ行けよ


   ああ色が欲しい
   ピンクかレモンだ
   ブラック調はお断りだ


   妄想でも
   幻想でも
   もう少しましなのはないのか


   俺は或る者に成ろうと進んでいるのか
   ほかでもない
   ほら例の好きな奴だ


   俺はなってんだ
   俺は成ったんだ
   それは厭世家」



もう1編「手紙を書こう」


  「宛名もない
   手紙を書こう
   いつまでも いつまでも世の中を
   ぐるぐる回りして還らない


   書いたら少しは
   望みも湧いて
   笑顔の日もくるだろに
   明日も恐がらなくともよいだろに


   人生のこと
   一人の物語を書こう
   愛もあり 涙もある
   少しでも人々に分かるように


   一生かけて
   作り上げる
   誰にも分かるような
   生きている手紙を書くのだ


   汗でつづる
   手紙を書こう
   てのひらが たこでいっぱいになっても
   一生かかっても完成しないのを


   世の中の人々が
   誰でも分かる生きてる字で
   盲目の人も 心の曲った人も
   かんたんな字で なじむ字で


   人々が行けないほど
   永遠の手紙
   宇宙のアポロの道よりも
   もっとずっと長い手紙を書こう


   誰にでもよい
   手紙を書こう
   長い 長い 手紙
   一生かかっても読み終わらない」