「永山則夫 100時間の告白――封印された精神鑑定の真実」

NHKのETV特集永山則夫 100時間の告白――封印された精神鑑定の真実」は一時間半に及ぶ長いドキュメント番組だった。
どうしてあのような事件を起こしたのか、1968年秋、次々と4人をピストルで射殺する連続殺人事件、19歳の少年であった被告・永山則夫の精神鑑定にたずさわった精神科医・石川義博氏は、永山の生涯を追って彼の精神の闇に迫る。それはひたすら永山の心に寄り添って心を聴きとっていくカウンセリングのやり方だった。心が解放されない限り、真実は語れない。生い立ちから犯行までを、278日間をかけて聞き取っていった対話は、100時間の録音テープに残されていた。
生まれ育った網走の記憶、永山は8人兄弟の7番目の子として生まれた。父親は博打に明け暮れ家に帰らず、家庭は崩壊。長女は心を病み精神病院に入院。 母は永山が5歳のときに則夫を含む4人を残したまま青森の実家に逃げ帰ってしまった。4人は、漁港で魚を拾い、ゴミ箱を漁って極貧のなかを生きる。兄や姉は則夫を激しく虐待し、血が流れた。
中学時代、永山は家出し、東京に集団就職する。仕事は順調だったが、戸籍謄本の本籍が「網走無番地」だったため、「網走刑務所生まれ」だと差別されて退職。その後、職や住所を転々とするが、どこも長続きせず、仕事から逃げていくことが続いた。いっとき希望を感じるときもあったが、常に挫折に終わってしまう。そして永山の運命は破局に向かう。
石川義博氏は聞き取りに基づく鑑定書をまとめて、裁判所に提出した。しかし、第一審は鑑定を無視、あまつさえ被告まで鑑定書に結びついた自己の語りを否定した。死刑判決。第二審は鑑定を裁判官は参考にしたのであろう、判決は無期懲役最高裁での第三審は鑑定調書に触れることがなかった。死刑確定。
石川義博氏が渾身の力で聴き取り、明らかにしようとした人間の心の闇は封印された。極貧、家族の崩壊、親子の関係、虐待の連鎖、差別など、永山の人格を破壊していったものの追究はなおざりにされ、闇に葬られた。以後、石川氏は、鑑定の仕事には一切かかわることをしなかった。犯罪の根源となる人間の心の中を明らかにしようとした石川氏の挫折感は深かった。
1997年、永山の死刑が執行。48歳だった。
死刑になるまでの日々、永山は独学し、文学作品を書き残した。

人間は、過ちも犯し、罪も負う。人はそれを裁き、批判する。その事象、「何をしたか」をあげつらい、弾劾する。毎日毎日、この世界、表層の批判があふれている。人を落とし込んでいく奈落を直視しなくては救いようがないではないか。現代社会、今も奈落は再生産され、心が壊れている。
あの事件から44年がたった。「永山則夫 100時間の告白――封印された精神鑑定の真実」、この力作の映像作品をつくりあげたスタッフに敬意を表したい。