プリーモ・レーヴィ「これが人間か」


 プリーモ・レーヴィの著作「これが人間か」には、「アウシュビッツは終わらない」のサブタイトルがついている。今も続いているし、これからも続くという予感である。
 プリーモ・レーヴィは、イタリア系ユダヤ人で、1944年、アウシュビッツ強制収容所に入れられ、苛酷な収容所生活を奇跡的に生きながらえてイタリアに帰還した。その体験が実に詳細に書かれている。
 本の序に作者の一片の詩が加えられている。


  暖かな家で
  何ごともなく生きているきみたちよ
  夕方、家に帰れば
  熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。

    これが人間か、考えてほしい
    泥にまみれて働き
    平安を知らず
    パンのかけらを争い
    他人がうなずくだけで死に追いやられるものが。

    これが女か、考えてほしい
    髪は刈られ、名はなく
    思い出す力も失せ 
    目はうつろ、体の芯は
    冬の蛙のように冷え切っているいるものが。
    ‥‥‥

 この本は1947年に刊行され、その後世界中で広く読まれ続けている。1973年には、中学高校生用の副読本的な学生版が出版された。学生版には、ヨーロッパにあった強制収容所の場所を記した地図も添付された。
 プリーモ・レーヴィは、「若い読者へ」の欄にこんなことを書いている。
 「この本は、学生と教師の間で好評を得た。イタリア全土の何百という学校の生徒が手紙をよこして、この本について手紙を書くか、あるいは本人が来て講演をしてくれるよう招いてくれた。」
 生徒たちは質問した。
 どうしてこんなことがまかりとおったのか。どうしてドイツ国民は阻止できなかったか。ドイツ人はナチスヒトラーの行なっていることを、あの当時知ることができなかったのか、それとも知っていて見逃していたのか。
 プリーモ・レーヴィは答えた。

 「情報を得る可能性はいくつもあったのに、それでも大多数のドイツ人は知らなかった。それは知りたくなかったから、無知のままでいたいと望んだからだ。国家が行使してくるテロリズムは、確かに、抵抗不可能なほど強力な武器だ。だが全体的に見て、ドイツ国民がまったく抵抗を試みなかった、というのは事実だ。ヒトラーのドイツには特殊なたしなみが広まっていた。知っているものは語らず、知らないものは質問をせず、質問されても答えない、というたしなみだ。こうして一般のドイツ市民は無知に安住し、その上に殻をかぶせた。ナチズムへの同意に対する無罪証明に、無知を用いたのだ。目、耳、口を閉じて、目の前で何が起ころうと知ったことじゃない、だから自分は共犯ではない、という幻想を作り上げたのだ。知り、知らせることは、ナチズムから距離をとる一つの方法だった。ドイツ国民は全体的に見て、そうしようとしなかった、この考え抜かれた意図的な怠慢こそ犯罪行為だ、と私は考える。」
 「抑圧を容認してはいけない、抵抗すべきだ、という、今では深く根付いている考え方は、ファシスト統治下のヨーロッパには広まっていなかった。特にイタリアではそうだった。もちろん政治活動をしていた小集団はこうした考えを持っていたが、ファシズムやナチズムはその成員を孤立させ、放逐し、暴行を加え、殺害した。数百、数千にのぼる、ドイツのラーゲルの最初の犠牲者は、ほかでもない、反ナチズム政党の幹部たちであったことを忘れてはならない。彼らの影響力が働かなくなったので、組織をつくって抵抗するという民衆の願望は、かなり後にならないと強まらなかった。」

 これを読むと、日本の現実が浮かび上がってくる。日本の学校で、このような副読本を使いたいという意見を出すと、どんな状況が生まれてくるか想像に難くない。そして実際に中学生、高校生、大学生の認識を問うた場合、生徒たちは日本の近代の歴史を含めて、世界の歴史をどれだけ知っているか、これまた想像に難くない。その「無知」「無関心」が、日本の現在と未来にはねかえる。恐るべきことである。