対話が生まれるとき


 1944年、硫黄島を守備する日本軍は圧倒的なアメリカ軍の攻撃を受けつつ、徹底抗戦をする。アメリカ映画「硫黄島からの手紙」を監督したイーストウッドが語っていたのは、「日本兵の側に身を置いて硫黄島の戦いを描く」ということだった。個人としての日本兵の希望は何だったか、日本兵はいかなる信念を抱いて戦ったのか、17、18歳の兵士たちは何を思って勝ち目のない戦いに死を賭したのか。彼らもまた未来を持つ若者であり、家庭を持ち父であり、夫であり、愛する人がいた。5日で終わるだろうと言われた硫黄島の戦いは、36日間にも及んだ。
 テレビのドキュメンタリ―でイーストウッドは、アメリカの側からの視点ではなく、硫黄島からの兵士の手紙をもとに日本兵の側からの視点で描いたという。型どおりの認識では、日本兵は、軍国主義日本の狂信的な愛国者であり天皇崇拝者である。アメリカ人にとっては、パールハーバーには怒りがあり恨みがある。敵国に対する、怒り、恨み、憎しみ、軽蔑の感情がある限り、相手を理解することは一面的になる。しかしイーストウッドは「敵」の側の視点に立とうとして制作した。映画はアメリカでも大きな反響を生んだ。
 ところで、トランプ大統領は、そして安倍首相は、この視点があるだろうか。かつてイラク戦争の過程で、当時のブッシュ大統領は、イラクに並べて北朝鮮を入れて「悪の枢軸」と呼んだ。今トランプも見方を引き継いで「ならず者国家」と呼んでいる。
 アメリカの学者ノーム・チョムスキーは「メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会」で、ベトナム戦争からイラク戦争までのアメリカを厳しく批判してきた。メディアをコントロールし、平和主義の世論を煽ってヒステリックな戦争賛成論に転換させ、大義なき戦争を繰り返してきたのだ。
 今北朝鮮アメリカの関係を見ると、極端な小国と超大国、その小国が国内世論を煽って軍国主義化してきた。相手の側に立って考えてみると、北朝鮮には歴史的なトラウマが強烈にある。日本による植民地化で日本への恨み、解放されたと思ったら朝鮮戦争、それが休戦状態のまま今も続いている、だからアメリカへの恨みがある。そしてベトナム、アフガン、イラク、とアメリカによる戦争が続いてきた。国を守り体制を維持するには、核兵器を持つ以外にない。独裁国家の将軍の、タコつぼの思考だ。北朝鮮では、体制に反対する人は逮捕され粛清される。かくして好戦的主張が国家内に充満する。かつての日本と同じではないか。あの頃、日本人はアメリカ、イギリスを、「鬼畜米英」と呼んでいた。怒り、恨み、憎しみ、軽蔑の感情をもって、竹槍でアメリカ兵のワラ人形を突き刺す訓練までした。
 今、国のトップが、怒り、恨み、憎しみ、軽蔑の感情をもって「制裁、制裁」と叫んでいる。感情は暴発する。この感情が暴発すると、国民は好戦的になり、破滅に至る。
 相手の側に身を置いて、考えてみる。そうなったとき、対話が生まれる。相手に届く話のできる人、忠告する人はいないのか。