夢を描き、夢を追う


 

上「のぼり旗」、下「荻原碌山の作・『労働者』」



ランといつも散歩するコースの途中に、大きな旧家がある。
その家の庭にはすでに枯れてしまってはいるが樹齢数百年にはなると思われるケヤキの巨樹が幹を残していて、
最近その庭先に端午の節句の「のぼり旗」が男の子の名前を染め抜いて青空高く掲げられ、
家の背後には鯉のぼりが泳いでいる。
見事なもんだ。
幟(のぼり)を作るのは高価だろうな、ぜいたくなことだなあ、という思いがちらりとかすめるが、
実利を求める現代人の意識では、鯉のぼりや、のぼり旗は、遠く過ぎ去った過去の代物、
鯉のぼりを上げて何になる、のぼり旗を掲げてどんな得がある、と暮らしの伝統も夢もあせていく。
「こいのぼり」という唱歌があった。
こいのぼりやのぼり旗には、子どもがすくすくと育ってほしいという親の願いと愛がこめられ、
四月と五月の空に、家族の願いと愛と夢が大きくはためいてきたものだが。


現代では、希望を持ち、夢を描くということがしらじらとしてきている。
大人たちは、大きな夢を抱くことはしなくなり、あるいはできにくくなってきたこともあり、
夢を語ることや希望を語る人に対して、
そんな夢みたいなことを考えて何になると、虚無を主張する。


脳科学者の茂木健一郎がこんなことを書いている。
「こいのぼりを見上げる子どもの目は、まだ見ぬ未来を思って輝いている。
どんなに世知辛い社会になっても、生まれてくる子どもだけは、無限の希望を抱く。」
将来がどうなっていくか混沌として暗いが、子どもを持つ親は子どもの育ちに希望を抱き、
幼い子どもは夢のかたまり。
「自分が成功する客観的確率よりも高い主観的確率をもって未来を予想する、人間の脳には、そんな『楽観主義』の回路があることが明らかにされている。この楽観主義の回路がうまく働かないと、精神のバランスを崩す。未来が明るいと思うことは、決してずうずうしいことではない。生きるために不可欠な、心のエネルギーなのだ。」
だから「こいのぼり」は大きいほうがいい、と言う。
「現実に大きなこいのぼりが掲げられないのならば、せめて想像の中で掲げたい。もっと大きく、もっと広々と。」
唱歌「鯉のぼり」の3番は、

  百瀬(ももせ)の瀧を登りなば、
  たちまち龍になりぬべき、
  わが身に似よや男子と、
  空に躍るや、鯉のぼり。


学校の教員をしていた時代、同志たちと教育の創造と実践を進めながら、よく未来への希望を語り合った。
教育現場は夢の実現の場であった。
夢を描いては実践した。
ところが、学校は次第に夢実現から遠くなっていくように思われた。
行政、学校、地域は保守化し、教育研究は低迷し、実践は困難を極めるようになった。
閉じこもっていては、困難を打開できない。
ぼくは日本各地の教育実践で夢を追う人々を訪ねた。
我が夢は、現実の教育砂漠に絶望する吐息の合間から湧いてきた新たな道程への夢になった。
そして公立学校の教員を辞めて、同志とともに新たな教育を顕現する世界へ希望を託した。
壮大な実験は着々と成果を上げていくかに見えた。
だが、積み上げてきた山は崩壊し始めた。
骨をここに埋めるべきか、新たな夢を描くべきか、問い返しが再び未知の世界への歩みとなった。


ぼくが夢を語ると、相変わらずロマンチストだねえという応えが返ってくることがある。
その言葉に少し揶揄を感じたりもしたが、逆にそれを肯定して受け止め、首をもたげる反撥を抑えたこともあった。
マイペースで夢を描き、夢を追う、オレの人生よ。
だが、大言壮語を言っても始らない。
自分のやれることはしれている。
しれているが、やれることをやっていく。
何がやれるかは、やってみないと分からない。
やる前から制限しない。
夢を抱いて実践している人のところに行って、自分の微力をそっと付け加える、それもいい。


「自分が成功する客観的確率よりも高い主観的確率をもって未来を予想する。
人間の脳には、そんな『楽観主義』の回路がある。」
人間の中にそういう力が備わっている。だからどんなに悲惨な境遇に陥っても、人間はそこから舟をこぎだす。
成功するかどうか分からない、成功しなくてもいい、やってみるだけよ。


戦後4年、ぼくが小学校六年生だったとき、先生たちが弁論大会を企画した。
「少年よ、大志をいだけ」
弁論のなかでこのクラーク博士の言葉を使った子が何人もいた。
食べ物に事欠く時代、その言葉をどのような気持ちで使ったのか、言葉だけを真似して語っているように思え、お前の大志とは何なんだと言いたかったのだが、
今の時代、地球規模の混沌、
ますます、
少年よ、そして昔少年よ、大志を抱け。