「喪のある景色」(山之口獏)


 
   国営安曇野アルプス公園の「森の光物語」を観てきました。


テレビのニュースや新聞の報道が、今日もまた、悲しい、いたましい事件を伝えています。
一丁の銃が、つい最近も二人の命を奪いました。


山之口獏は、沖縄出身の詩人です。明治36年生まれ。1963年に亡くなりました。
獏の親しい友人、金子光晴は、
「獏さんの詩は日本では一流の詩だ。前にもあとにもないユニークな作品である。
決してむずかしい詩ではなく、誰にでもわかるので人はうっかりしているが、獏さんは一つの題材を煎じつめて単純化し、
一篇の詩を完成品にしなければ気のすまないすいこうを重ねて」、作り上げた作品であると書いています。
獏は、故郷琉球をよくうたいました。


次の詩は、人間のつながりをうたいながら、
今そのつながりが、どうなっているか、
これからどうなっていこうとしているか、
を考えさせます。


    ▽    ▽    ▽


   喪のある景色 (山之口獏


うしろを振りむくと
親である
親のうしろがその親である
その親のそのまたうしろがまたその親の親であるというように
親の親の親ばっかりが
昔の親へとつづいている
まえを見ると
まえは子である
子のまえはその子である
その子のそのまたまえはそのまた子の子であるというように
子の子の子の子の子ばっかりが
空の彼方へ消えいるように
未来の涯(はて)へとつづいている
こんな景色のなかに
神のバトンが落ちている
血に染まった地球が落ちている


     ▽    ▽    ▽


「あなたのお父さんとお母さんの、そのまたお父さんとお母さん、
そのつながりを紙に書いてみましょう。」
授業の中で、それを5代前、10代前と子どもたちに書いてもらった。
「5代前の、あなたの先祖は何人ですか。」
32人。
では10代前は? 
1024人。
もっとさかのぼりましょう。20代前は? 30代前は?
こうして数を計算していくと、驚くべき数になります。
人には、みんな先祖がいるわけで、じゃあ、今の日本の人口×そのころの先祖の数を計算すればどうなりますか。
計算して、びっくり。
おかしい、そんなに人口がいたとは考えられない、不思議、どうして?
そのなぞを考える授業がそこから始まります。


「5代前というと、日本の歴史では何時代だと思う?」
人間の寿命はもっと短かったし、結婚年齢や子どもを生む年齢も若かった。
10代前は?
ではそのころの人口は?


それにしても、変だ。
昔どこかで、先祖がつながっていたとしか考えられない。
ぼくたち、私たち、昔は、大昔は、親戚だった?


そうしてこれから未来についても、
考える。
獏さんの詩の最後、
「こんな景色のなかに
神のバトンが落ちている
血に染まった地球が落ちている」
これはどういうことだろう。
予言、いやすでに現実‥‥。