山之口獏「親子」「ミミコの独立」

michimasa19372009-02-21




息子たちは家族をなして、東京と兵庫にそれぞれ住んでいますが、
孫がつぎつぎ誕生し、
一緒に住んではいないけれど、
にぎやかな子どもの声が聞こえるようで、
ぼくら「じいじ」「ばあば」は、彼らが帰ってくるそのときが楽しみになりました。
前日のシュタイナー研究の高橋巌は、子どもの誕生から3年間のことをこんなふうに書いています。


   「大人はまるで子どもから、人生の祝福を受けているような感じさえ受けます。
  子どもがそばにいるだけで、生きがいを感じるようになるのです。
   ‥‥
   その子どもの姿を見れば、
  私たちは、子どもに対するふつうの見方とは全然違って、
  子どもは偉大な精神的存在なのではないか、
  とさえ感じられてくるはずなのです。」


沖縄出身の詩人、山之口獏は、娘のミミコの成長を詩に詠みました。


        親子


   大きくみひらいたその眼からし
   ミミコはまさに
   この父親似だ
   みればみるほどぼくの顔に
   似てないものはひとつもないようで
   鼻でも耳でも そのひとつびとつが
   ぼくの造作そのままに見えてくるのだ
   ただしかし たったひとつだけ
   ひそかに気に揉んでいたことがあって
   歩き方までも あるいはまた
   父親のぼくみたいな足どりで
   ミミコも歩き出すのではあるまいかと
   ひそかにそのことを気にしていたのだ
   まもなくミミコは歩き出したのだが
   なんのことはない
   よっちよっちと
   手の鳴る方へ
   まっすぐに地球を踏みしめたのだ



        ミミコの独立


   とうちゃんの下駄なんか
   はくんじゃないぞ
   ぼくはその場を見て言ったが
   とうちゃんのなんか
   はかないよ
   とうちゃんのかんこをかりてって
   ミミコのかんこ
   はくんだ と言うのだ
   こんな理屈をこねてみせながら
   ミミコは小さなそのあんよで
   まな板みたいな下駄をひきづって行った
   土間では片隅の
   かますの上に
   赤い鼻緒の
   赤いかんこが
   かぼちゃと並んで待っていた


子どもの成長は、奇跡とでも言いたいくらいに驚くべきものです。
幼いミミコはミミコなりに、考えて行動している、まさに独立の芽生え、
そのことに胸が震えるほど感心し、
いとおしくなる、
親と子の関係とはそんなものです。
ぼくは孫を見ていて、感心し、
先日マサト君家族が来たときは、二人の幼い娘の様子を見ていて、
幼いながらも大人も驚くような、気配り、心配りの奇跡を見たのです。