「幸福」(サンドバーグ・安藤一郎訳)



サンドバーグは、アメリカの詩人(1878〜967)です。
工業都市の鉄と煤煙、大草原や民衆を力強くうたった人だと言われています。


     ▽    ▽    ▽


          幸福     サンドバーグ

   ぼくは人生の意味を教える教授に
   幸福とは何か教えて下さいと言った。
   また幾千という人々の仕事を監督している有名な重役のところへ行った。
   彼らはみんな頭をふって、
   まるでぼくが冗談ごとを言っているかのように微笑を返した。
   それから或る日の午後に、
   ぼくはデプレイン河のほとりをぶらぶら歩いた。
   そして樹蔭(こかげ)で一団のハンガリー人が女や子どもと一緒に、
   ビールの樽をおき、
   アコーディオンをひいているのを見た。


         ▽    ▽    ▽


サンドバーグが訊ねたら、
「彼らはみんな頭をふって、まるでぼくが冗談ごとを言っているかのように微笑を返した。」
人生の意味を教える偉い教授は、どうしてそんなふうに応えたのだろう。
偉い教授は、よく知っていることだから? それともよく分からないことだったから?
有名な重役は、どうしてそんな態度をとったのだろう。
今の自分は金持ちになり有名になり、豊かな暮らしをして幸福だ、そう言いたかったから?


「幸福とは何か教えて下さい」と、もし自分が問われたら、どう答えるだろう。
「それはね、こういうことだよ‥‥」
「そんなこと分かっているじゃないか。言うまでもないさ。」
「うーん、私にはよく分からない。」
「それは言葉で説明できないよ。」
「そんなこと考えている暇はないよ。生きるのに忙しくてね。」
「簡単なことさ。みんなが仲よく生きていることが幸福さ。」


  「ぼくはデプレイン河のほとりをぶらぶら歩いた。
  そして樹蔭(こかげ)で一団のハンガリー人が女や子どもと一緒に、
  ビールの樽をおき、
  アコーディオンをひいているのを見た。」

サンドバーグは、その光景から、幸福の一つの姿を見たのでしょう。


「そんなこと分かりきったことさ。」
「そんなこと訊くほうがヤボさ。」
という、みんなが知っている、という答はほんとうのことなのか。
みんなが思う当たり前のことと、自分の心の中で感じることと‥‥。

 
「幸福とは?」の問いは、これまで「玉手箱」に登場した「しあわせ」(高田敏子)や、「冬の夜道」(津村信夫)にも通じます。