懐(ふところ)の深さ


      懐の深い人


「懐(ふところ)が深い」という表現がある。
きわめて感覚的な言葉だから、
主観の産物になってしまうにしても、
「あの人は懐が深い」と思える人物が何人か思い浮かぶ。
「生涯百姓」を自認しておられた大阪・河南町の久門太郎兵衛さんはその一人、
懐の深い人だった。
別れて5年ほどになる。
そのころは八十数歳、鶏を飼い、自然農法で野菜・果物を作り、
山の畑をいろんなサークルに開放しておられた。
里山クラブ」や「カボチャクラブ」というセミナー風の活動を開催して、
環境、農林業、教育、自然、健康、社会、その他、
いろんなテーマで研究し合い、
一時期「百姓小学校」を立ち上げ、自然農を育てる活動をしておられた。
ブラジルで開催された地球環境サミットには、
百姓代表として参加され、
沈黙の春」のレイチェル・カーソンの意志を継ぐ会の活動もしておられた。


ぼくは、奈良の御所の、借りていた一反の畑に小麦を蒔いた。
小麦は育ち、とりいれ、
脱穀することになった。
畑の持ち主の納屋にあった昔の足踏み脱穀機を使わせてもらい、
次に実と殻を分離する唐箕が必要になった。
久門さんに話すと、
「うちのを持ってけ、持ってけ」
と、もう使わなくなっていた唐箕を、車に積んでくれた。


「包容力があって、度量が広く、寛容」、
久門さんの受け入れる心の深さに、ファンも多かった。
このような心の深さは、どうして生まれてくるのだろう、
この問いは、いつも自分という人間に引きつけて立ち現れる。
狭くなったり広くなったり、自分のなかの気ままな度量。


ぼくの所属している組織の理事長・槇枝元文氏は、
20年以上に渡る日中交流の活動を振り返り、
その経験の中から、中国人の懐の深さをよく語られた。
そしてそれを語る槇枝氏もまた、「懐の深い人」だった。


中国人ジャーナリストのモー・バンフさんが、
朝日新聞のコラムにこんなことを書いていた。
モーさんは、1981年、日中共同で立ち上げた日本語研修センターの
第一期生として日本を訪れた。
そこでの一ヵ月の研修が終わったお別れパーティで、
言語学者だった故・金田一春彦が行った挨拶を紹介している。


「日本をよく知るためには、日本のお尻、つまり人様に見せたくないところも、
きちんと見て、初めて知日派となります。」
モーさんは、この言葉に感動し、日本の懐の深さを実感したと、書いている。
そのころの中国政府は、自国への批判には耳を貸さず、
逆に「反華」(反中国)という言葉で反論した。
それから26年、中国で「反華」という言葉は少なくなり、
日本の中で逆に、
反日」という言葉が増えている。
戦時中の「非国民」という言葉に通じる日本批判を封殺する語として使われてもいる。
モーさんは、
「懐の深い日本人」はどこへ行ったの?
と、知日ゆえに嘆くのである。