そこにも人が歩んだ道がある

日曜日は朝から地域の市民運動会があり、ぼくは居住地区の子ども会育成会の役であったから、地元の小学校へ出かけた。市民運動会は、子どもから大人まで、いろいろコンビを組んで出場し、地区対抗という形で競走する。好天気に恵まれ、競技は和気あいあいで進んだ。八つの地区はそれぞれテントを立てて、待機場所にしている。出場する人はみんな違う服装だ。フィナーレの試合が盛り上がった。地区対抗リレー競走で、小学生が走り、中学生にバトンパスし、高校生、成人とつないでいく。年齢が上がるごとに距離が伸び、高校生と成人は、トラックを二周する。二周目になると青息吐息の大人もいる。日ごろ走ったことのない人が思い切り走るものだから、転倒する人が何人も出た。一つの地区のチームの小学生選手が欠場になり、代わって保育園児が出場した。バトンを持ってどんじりを一生懸命に走って、大人にバトンをパスする。観客席から笑い声と盛大な声援が起こった。
運動会が終わり、自転車に乗って帰る。初めての道を通った。通ったことのない道は、好奇心がかきたてられる。観察眼も盛んになる。自分の住んでいる村の中にも、まだ通ったことのない、こんな道があったのかと思う。牛の糞の匂いがしてきた。酪農をしている人がいるらしい。なんとなく懐かしい牛糞堆肥の匂いだ。農家の裏庭で、棒をとんとん振り下ろしている老夫婦の姿が見えた。地面に腰を下ろして、畑から収穫してきた大豆を打って、豆とさやを分離しているのだ。この光景もなつかしい。機械化した今では、この手作業は小規模に大豆をつくった家で行われている。道が分かれる。どちらを行こうか、我が家の方向に向かうのだが、直感的に魅力を感じるほうの道を選ぶ。道が続いている。ここにこんな道があり、ここに人が住み、自分の道を歩んでここにいる。
やがて見覚えのある道に出た。こんなところに出るのか、一つの地図が頭にできた。我が家が近くなり、今夜のコーラス練習時間を聞こうと巌さんの家に立ち寄った。家の中に入っていくと、とんとん音がする。さっきの農家の豆打ちの音と同じだった。裏に回ると、巌さんと奥さんが、地面に座って、大豆を打っていた。ブルーシートを広げ、木の台を置き、枝に大豆の付いているのを寝かせて、棒でとんとんたたいている。黒豆がはじけて跳んで出る。
「コーラスは7時からでしたっけ」
「ああ、7時だよ」
お二人は会話の間も手を休めない。この後、唐箕(とうみ)にかけて、屑を吹き飛ばし、豆を分離するという。伝統の木製唐箕が納屋の中に見えた。唐箕を使うのもまた昔ながらのやり方で、ぼくもこれをするつもりでいる。
今日の晴天を逃がすまい。ぼくの畑の大豆も枯れてきている。家に帰って、鎌をもって、畑に出かけた。大豆は三分の一ほど茶色に枯れて葉を落としていた。さやがはじけて、豆が跳び出ているのもあった。すでに枯れた株を鎌で刈り取った。車の後ろに積めるだけ積んで帰った。もう日は落ち、暗闇が迫っていた。

夜のコーラスは三曲練習した。男声4人、女声十数人、曲の一つは「小さな木の実」、ビゼーの曲に日本の歌詞がつけられている。

   小さな手のひらに ひとつ
   古ぼけた木の実 にぎりしめ
   小さなあしあとが ひとつ
   草原の中を 駆(けてゆく
   パパとふたりで 拾った
   大切な木の実 にぎりしめ
   ことしまた 秋の丘を
   少年はひとり 駆けてゆく

   小さな心に いつでも
   しあわせな秋は あふれてる
   風と良く晴れた空と
   あたたかいパパの思い出と
   坊や 強く生きるんだ
   広いこの世界 お前のもの
   ことしまた 秋がくると
   木の実はささやく パパの言葉


哀調のあるビゼーの曲に付けられた日本人の歌詞、作詞者は海野洋司。気になって家に帰り調べてみると、ビゼーの曲は歌劇「美しいバースの娘」のアリアで、歌詞はまったく異なるものだった。歌詞にはやはり作者のわが子への思いがこめられていた。
それぞれ人の歩む、それぞれの道がある。