夏は来ぬ


      オウチの木


脳の出口で、その花の名は、ストップしてしまった。
途中でひっかかって出てこない。
なんとかして思い出そうと、
脳のなかへ意識を集中する。


薄紫の花は、樹高10メートルほどの枝にびっしり付いている。
「センダの木で…。」
と、小川の畔の家から出てきたおばさんが言った。
「ああ、センダンの木ですか。」
と、おばさんの「センダ」を訂正するようにぼくは言ってから、
「ええっと、古名があったな。」
と古い記憶がぼおっと立ち上がり、
それを思い出そうとして、脳の途中で詰まってしまったのだ。


ついそこで引っかかっているのが分かるから、
思い出そうとする。
が、なかなか出てこない。
この状態は気持ち悪い。
なんとしても思い出さないと、もやもやは解消しない。
たしかその名は『夏は来ぬ』の歌の中にあった、
と頭の中で歌ってみる。
3音の名前だったな、
1センチほど言葉が出てきた。
「なんとかウチ」
半分ほど、脳から外へ出てきた感じだ。


3番の歌詞、
「○ウチ散る……」
「オウチだ−。」
出たあ。
ぽろっと脳から転げ落ちた。


「おうち散る川辺の宿の
窓近く 蛍とびかい
おこたり諫むる 夏は来ぬ」


思い出せたさわやかさ。


ぼくの知っているオウチは、
10年ほど前、住んでいた農場の池の畔にあった。
オウチが記憶に定着したのは、『夏は来ぬ』の歌があったからだった。
オウチは、センダンの木だが、
「センダンは双葉より芳し」のセンダンは、別の木で、
それはビャクダン。


歌集を繰ってみたら、
『夏は来ぬ』は、五番まで歌詞があった。
そして、分かったのは、歌詞の記憶間違い。
3番が、
「橘の かおる軒(のき)ばの
 窓近く 蛍とびかい
 おこたり諫(いさ)むる 夏は来ぬ」
4番が、
「オウチ散る 川辺の宿の
門遠く クイナ声して
夕月すずしき 夏は来ぬ」
だった。


美濃地方は、今田植えの真っ最中、
そして蛍が飛ぶ時期だ。
近くの大学の校内に、
『蛍の飛ぶ川辺』という湧き水の清流があり、
カワニナを育てて、
池周辺に花咲く草むらを広げている。
いわゆるビオトープというもの。


歌の5番、
「五月やみ 蛍とびかい
 クイナなき 卯の花さきて
 早苗うえわたす 夏は来ぬ」


2番は
「五月雨の そそぐ山田に
早乙女が もすそぬらして
玉苗ううる 夏は来ぬ」
この景色は、もうない。
田植え機が苗を植えた稲田の水の中に、
ケリが立って、相変わらずけりけりと鳴いている。
やはりヒナがいて、親の近くで土をついばんでいた。
安曇野の我が家では、子ツバメが3羽育ち、
巣から糞を玄関の床に落としているから、
巣の下に箱を置いているということだ。