御嶽山


        中央線、木曽路


先日、中央線に乗って木曽谷を下っていった。
ぼくはひとつの期待をもって、右側に流れる木曽川の対岸の支流を待ち受けていた。
木曽福島駅を出て、しばらく走ったとき、
予想は当たった。
目当ての支流の谷が、木曽川沿いの山を割って現われ、
その奥に、真っ白な木曽の御嶽山が、孤高の輝きを放って鎮座していた。
やはり神の山だ。
木曽谷から御嶽山が見えるのは、ここしかない。


もう30数年前になる。
名古屋から木曽路に入った列車が上松を過ぎ、木曽福島に近づいたとき、
車内放送があった。
「進行方向にむかって左側、木曽川支流の奥に御嶽山が見えます。」
御嶽山が見えるのか。
ぼくは、コトコトとリズムを刻んで上っていく列車の車窓から、御嶽山を待ち受けた。
この木曽谷の一箇所からだけ見える御嶽山だという。
木曽川が開け、支流の合流点が近づいてきた。
おーう、見えた、御嶽山だ。
わずかな間だったが、
思いがけず見ることができた感動は、
それを知らせてくれた車掌への感動に変わった。
なぜなら、さらに次の車内放送があったからだ。
「これから鳥居トンネルに入ります。このトンネルを境にして、川の流れる方向が変わります。
トンネルの上の鳥居峠が太平洋と日本海分水嶺になっています。」
それまで列車の右に移ったり左に移ったりしていた木曽川は、
太平洋に向かって流れている。
鳥居峠木曽川源流は尽き、中山道は、別の川に沿って、信濃の国の中心、松本平につながっていく。
列車が鳥居トンネルを抜けると、なるほど車窓右に流れる川は、
木曽川とは逆、進行方向の北に向かってさざなみを立てながら流れていた。
日本海に注ぐ川だ。
分水嶺、この言葉の魅力を感じたのがこの旅だった。
同じ峰に降った雨の水が、尾根や峠を境にして大きく分かれ、
全く違う海に注ぐ。
ただの川にしか見えなかった車窓の川だったが、
壮大なドラマを見る思いがした。
眠くなるようなのどかな声で、車掌は乗客に語りかけてくれた。
あの頃、こんな車掌さんがいた。


それより前、ぼくは大阪から夜行の蒸気機関車に乗って、北アルプスに入っていた。
登山やスキーのシーズンは、大阪駅ですでに列車は満員だった。
東海道を走って名古屋駅に着くと、またたくさんの人たちが乗り込んできた。
車内は通路もデッキも、人で埋まった。
はちきれんばかりの全車両は、熱気がむんむんしていた。
体一つおさまる空間を生み出した乗客が、眠りに入るのは名古屋を過ぎてからだ。
木曽路は、真夜中に通過する。
木曽路は、トンネルの連続だ。
トンネルに入る前、機関士は汽笛を鳴らした。
夏場の場合は、汽笛を聞く度に目を覚まし、窓を閉めなければならない。
眠りこけて、窓から石炭の煤煙が入ってきて、
あそこの席の人、閉め忘れているよ、というささやきが聞こえたりする。
各駅に止まっていく列車の窓から、夏草の匂いがしのびこんできたり、
駅の電灯のまわりに飛び交う峨の羽音が聞こえたり、
冬は雪が舞い込んだりした。


今、特急「しなの号」は、名古屋から松本まで2時間で走ってしまう。
連続するS字カーブを、スピードを落とさないで疾走するために振り子の原理を使った列車は、
右に傾いたかと思うと体勢を立て直し、反対カーブで左に傾く。
その揺れによって安全を確保するが、車酔いをする人がいる。
しかし、昔、一晩かけて通過していた木曽路は、いまは、1時間ほどで通り過ぎるようになった。
スピードが速くなった分、旅情は減り、味わいも薄くなった。
目的地に着くことのよさと引き換えに、失っていったものがたくさんある。
これが現代。


付け加えることがある。
あの車掌さん、案内の第一声が、木曽の馬籠で生まれ育った小説家、島崎藤村の、
木曽路はすべて山の中である。」という、
小説「夜明け前」の冒頭の朗読だった。