春よ 来い


 雪の日に、窓から眺めるラン。



羽島から名古屋に出て、構内の売店で「ういろう」を一箱買った。
創業は江戸安政の時代の店の伝統製法と書いてあったから食べたくなった。
特急しなの号の自由席はがらがらで、
いつものように左側の窓際に席を取った。
通路の右側に孫二人を連れたおばあちゃんが、座席を向かい合わせにして座った。
幼稚園と小学生低学年ぐらいの男の兄弟は、けらけら元気に話してはふざけている。
ほかにも子どもの姿があった。
そうか、春休みなのか、春休みでおばあちゃんの家に行くところなのか。
車窓を過ぎる美濃路は春、日は輝き、桜もこぶしも咲いている。
中津川辺りでうとうと眠り、ぼんやり目があくと、大桑の木材集積場のそばを走っている。
またうとうととした。
気がつくと、雪が舞っている。
木曽福島駅に来ると、一面の雪景色だった。
春から一転して冬になった。
木曽川沿いの村々は、雪の中だった。
鳥居トンネルを抜けたら信濃路、川の流れる方向が変わった。
山のてっぺんに樹氷が見える。間もなく4月になるというのに、冬は去らない。
松本平に入った。
雪は、田畑に少し残り、里山の木々は雪を被っている。
線路際のブドウ畑の、ブドウの樹に膨らんでいるだろう新芽は、目を凝らしても見えない。
今朝あたり、まだ雪が降っていたらしい。
突如、身体にしみてくるものがあった。
ああ、信濃の気だ。信濃の気を感じる。
かつては旅情として感じた信濃の気、今は故郷の気として感じる。
ふるさと信州の気を感じるものがわが身心に生まれている。
1週間前に、神戸の息子夫婦のところに行ったとき、大阪で途中下車をした。
その時は、故郷大阪の気が我が身を包み込む感じがした。
生まれ育った大阪の気は、肌身にしみた。


松本駅到着を伝える構内放送が耳に入った。
もうほとんど聞かれなくなった、「まつもと―― まつもと――」と、
駅名をのんびりと、長く引っぱるあの言い方。
蒸気機関車が日本の大地を駆けた時代、
息を切らしながらゆっくり走った蒸気機関車のスピードに合わせた駅名の放送は、
夜行列車の場合は眠気を誘うのどかなものだった。
大糸線の次の列車まで40分以上の待ち時間があった。
改札を出て駅デパートにある本屋による。
岳都の店だけあって、山岳図書が大きなコーナーをつくってあり、
穂高岳をはじめとする写真集を見るだけでなつかしさがこみあげた。
いつまたこの稜線を歩けるだろうか。
大糸線の列車は、寒気が車内に入るのを少しでも少なくするために、
ドアは乗客が手で開けるしくみになっている。
豊科駅に着いたら、駅舎の前にマイカーが停車していて、ぞろぞろ出て行く乗客のなかからぼくの姿をいち早く見つけたランの太い吠え声が響いた。
車の窓からランの顔がのぞき、狂喜して吠える。
こんなにも喜んで迎えてくれる犬という動物の愛情に、いつもいつも圧倒される。

常念岳も今朝まで降った雪で、白一色。
でも春は確実にやってきている。
ニオイスミレの花が咲く。
クロッカスもクリスマスローズも咲く。
スイセンも咲き出した。

梅の花は開花寸前。