(6)<苦闘の中で 自己を解放する>


     山に救われたあのとき


理想を掲げた学校づくりのプロセスは困難を極めた。
教師たちは疲弊していた。
額に鉛のかたまりがぶらさがっているような、うつうつとした気分がのしかかり、
希望が次第に遠のいていくような暗い毎日だった。
そうだ、行こう。
仕事だ、責任だ、使命だと、自分を酷使してきた余裕のない生活から、自分を解放しよう。
思い切って休暇をとろう。
そうしてぼくは出かけた。
初冬の白馬岳、もう新雪が来ているだろう。


大雪渓を登っている人は誰もなく、静寂が山を支配していた。
夕方、くたくたに疲れて稜線に出た。
うっすら雪が積もっている。
頂近くでツェールトを出してもぐりこみ、ダウンの防寒着を着込んで一夜を過ごす。
久しぶりに聴く山の声、三千メートルの稜線はしんしんと冷えた。
朝、体は凍えていた。
簡単な軽食を摂ると、頂上に向かい、そこを越えると東北へルートを取った。
頂上からの下りは岩稜で、岩に薄氷が張り付いている。
スリップの危険を感じて、歩みは慎重になった。
そのとき、前方をゆっくり下りていく人影を見た。
若者だった。
彼はスリップしそうな岩場に恐れをなし、難渋していた。
彼のところに追いついたぼくは、あいさつを交わしただけで追い越し、そのまま岩場を下っていった。
彼との距離はみるみる開いた。
急な岩場がなくなると小蓮華岳から白馬大池までは、楽な山歩きだった。
大池で休憩していると、あの青年が追いついてきた。
ルートを訊くと風吹大池から北小谷へ下るというから、ぼくと同じルートだ。
休憩して歩き始めると、彼は体力がありそうで、さっさか先へ進んでいく。


風吹大池まで来たら、彼は道端の草むらで昼食の用意をしていた。
じゃあ、ぼくも、と近くに腰をおろして、ザックからパンを取り出すと、
青年は携帯用の石油コンロでラーメンを作りだした。
食べますか、いつしか食卓は一つになった。
一人三点の品があれば、二人合わせれば六点になる。
昨夜のわびしい食事に比べ、楽しい食事になった。
彼はコーヒーまでつくってくれた。
食べながら身の上話をした。
彼は富山の人だった。
今頃どうして単独行で白馬に来たのか、
それぞれ心にそうしようと思った経緯があり、動機がある。
解決できるものではないが、余裕のなくなっていた精神状態を少しは楽にできるだろう。
初めて会った人だったが、互いの人生をわがことのように感じられた。
山葡萄がたくさんなっていた。
それから二人で長い長い山道を下っていった。
北小谷の駅で二人は旧友のように別れた。
ぼくはそこから日本海で海釣りをして松本へ帰るという人の車に松本駅まで乗せてもらった。


この山行は、縛られていたぼくの心を解放した。
額にぶらさがっていた鉛がとれた。
あらためて山がぼくを救ったと思った。
山ともう一つ、職場の同じ教科の教師集団がぼくに力を与えてくれたのだった。
自然の力と人間の力、それが疲弊している人に力を与える。