山の不思議


        山の不思議(ニホンオオカミと一本タタラ)
           
     
深い森を持つ山では不思議な体験をするものです。
そこはかつてニホンオオカミの生息していたところでしたし、「一本タタラ」という妖怪の伝説ののこっているところでした。
季節は秋の終わりでした。
まだドライブウエイが山の上までついていないときのことです。
友だち四人でまだ秘境であった大台ケ原に登り、山小屋で一泊した後、そこから西にそびえる大峰山脈へ向けて歩きました。
秋の日が紅葉した木々の葉を通過してふりそそぐ、それはそれは美しい山の道でした。
道はゆるやかな下りで、下りきったところがおば峰峠と呼ばれる峠です。
吉野と熊野を結ぶ道が、この峠を越えていました。
ぼくたちは峠から大峰のふところに入り込む一つの沢に分け入りました。
ふだんはだれも入らないところで、廃道は草でおおわれています。
谷のいちばん奥まで来たとき、日がとっぷり暮れました。
うっそうと茂る針葉樹林が狭い谷を覆っている川沿いにテントを張り、火を焚いて飯ごう三つにご飯を炊きました。
飯ごうの一つは、炊き終わった飯をそのままにして底を上にひっくり返し、明日の朝食べるためにテントの脇に置きました。
炊き終わった飯ごうをさかさまにしておくと、ご飯がおいしくむれると言われていたからです。
食事が終わると、食器を川で洗って飯ごうのそばに並べました。
だれも来ない深い山の中、四人はしばらく焚き火を囲んでいましたが、疲れていたので早めに寝袋に入って休みました。


一晩ぐっすり寝て、朝になりました。
ぼくたちは昨夜炊いておいた飯ごうのご飯を食べようと、テントの脇に置いた飯ごうを見ると、飯ごうがありません。
おかしいな、ここに置いたはずなのに、と辺りを探しましたが、飯ごうが見当たらないのです。
四人はテントの周辺だけでなく、すこし遠くまで探しました。
しかし、どこにもありません。
あれつ、食器が割れている、仲間の一人が声をあげました。
見ると、プラスチック食器の二つが、真ん中にピンポン球ほどの穴が開いていて、ひびも入っています。
これはいったい誰のしわざなのか、四人は頭をひねりました。
ここには誰も入ってくることはない。
仮に人間がこの谷に入ってきたとしても、わざわざ食器を割って、飯ごうを持っていくようなことはしないだろう。それにこんな穴を人間が開けられるなんて考えられない。
では、動物? イノシシ? しかしご飯の入った飯ごうを運んでいくことなんてできる?
サルにしたって、食器を壊すことなんてできない。
みんなで話し合いましたが、謎は深くなるばかり、不気味です。
謎は解けぬまま、ぼくらは出発することにしました。
その日は、大普賢岳に登り、山上が岳から洞川に下りました。
洞川で謎のことを聞いてみましたが、だれも分かりません。
その不思議があった場所は、ニホンオオカミがかつて走り回っていたところでもありましたし、
またその地に伝わっている伝説の妖怪「一本タタラ」が出没したところでもありました。
「一本タタラ」というのは、背中に笹をはやしたイノシシの妖怪であるとも言われています。
「12月20日の日は、おば峰峠をこすな、『一本タタラ』に生き血を吸われる」という言い伝えも残っています。
関係のない話かもしれませんが、ニホンオオカミと「一本タタラ」は、このときの不思議を思い出すたびに頭に登場してきます。


ニホンオオカミは絶滅しました。
ニホンカワウソも絶滅です。
トキという鳥もそうです。
すべて人間がその絶滅にかかわっています。
いったん絶滅すると、もう再びよみがえってはきません。
今、日本の森に他の国のオオカミを導入しようという考えがあるようです。
野生動物保護学者の中には日本にオオカミを導入することによって、木々に被害を与えるシカなどの草食動物の個体数を調整させ、森を守ろうという考えがあります。
日本オオカミ協会は、中国、モンゴルなどでオオカミの生態調査をし、日本でのオオカミ棲息地に適している地域の調査も行っているそうです。