黒板を背負う人


       黒板を背負う人


六年前、ぼくはひとつの夢を描いた。
山や森や田畑を舞台に、体験のなかで学ぶフリースクールをつくりたい。
だが、夢を実現させていく条件は何もなかった。
資金はなく、ほんとうの同志もいなかった、
協力者にはたくさん支えてもらったけれど‥‥。
山の廃校を探しもした。
しかし、実現しなかった。
五年前、小さな古家にとりあえず住み、生活できるように自力で修理、増築して、
近所の人が貸してくれた畑一反を耕してきた。
山から石を運んできて石畳の道をつくり、
古い建具をもらってきて窓をつくり、
間伐材を柱にして部屋をひろげ、
屋根にのぼって瓦の隙間をしっくいで埋めた。
夏の夜が明けたら畑に出て耕し、日が沈む八時ごろまで大工仕事をした。
一年目の秋、小麦を播いた。
その冬、Sさんと二人で「麦踏みの歌」を歌いながら麦を踏んだ。


食事のとき、Sさんが、「黒板を背負う人」という映画の話をしてくれたのが、強く心に残った。
神戸で観てきたイランの映画だという。
黒板を背負って山を越え、学校へ行けない子どもたちに村の木陰で勉強を教えている教師の物語だと聞いて、一つのイメージが湧いた。
それは映画とは少し異なるであろう、ぼくなりのイメージ。
校舎がなくても、条件がなくても、学びの場は生まれてくる、学びを求めている子どもがいる限り。
実際そのイメージが次の行動を生んだ。
中国に行けば、そこに待ってくれている若者たちがいた。
自分がつくらなくても、すでに舞台はあちこちにあり、そこで待っている人たちがいる。
体ひとつ動かせば、そこに何かが生まれてくる。


最近インターネットでその映画のことを詳しく知った。
映画のタイトルは「ブラックボード 背負う人」、
当時20歳の女性監督サミラの作品で、
カンヌ映画祭の審査員団を魅了し審査員賞を授賞した映画だった。
サミラは、「この受賞が民主化のために努力を続けているイランの若手映画作家たちへの励みになればいいと思います」と語り、満場の拍手を受けた。
「ブラックボード 背負う人」は、1984年、イラン=イラク戦争の末期の物語。
背中に黒板を背負った10数名の男たちが山道を歩いている。
彼らは爆撃で学校を失った教師たちで、子どもに読み書きを教えるために教師のいない村を回っていた。
若い教師サイードは村を訪ねて教職を探すが、反応は冷たい。
イードは移動する一団に遭遇する。彼らはイラク領内に住んでいたクルド人たちで、村がイラク軍の攻撃を受けたため、国境を越えてイラン側に移り住んでいたのだった。
彼らはイラク側の故郷の村に戻ろうとしていた。
別の教師リーボイルは、荷物を抱えた子どもたちの一団に出会う。
子どもたちはイランとイラクの間で密輸物資を運んでいた。
リーボイルは子どもたちに勉強の必要を説くが、子どもたちは聞く耳を持たない。
だが、リーボイルの熱意で、子どもたちは次第にリーボイルの言葉に耳を傾け、心を開いてゆく。
リーボイルは子どもたちと行動をともにしながら、文字や数学を教え始める。
群れの中に幼児を連れた女性がいた。未亡人であった。
「結婚を申し込むことができるだろうか」とサイードは長老に尋ねる。
「ナッツの樹を持参金として渡せば問題ない」と長老は答える。
イードは「自分には財産と呼べるものはこの黒板しかない」と言う。
かくして縁談は成立、サイードは黒板を持参金として、山道で結婚の誓いをあげる。
イードは文字を知らない妻に黒板で文字を教えながら旅を続ける。
だが、イラクの国境近くに達した一行は、イラク軍の銃撃にさらされた。村にいたとき、化学兵器によって攻撃されたことのある村人たちは逃げまどった。
リーボイルの一行も攻撃を受けた。子どもたちは羊の群れの中に身を潜めるが、一人、また一人と子どもたちは銃弾に倒れてゆく。


教師は黒板を、少年たちは闇物資を、老人たちは、疲労と病に倒れた仲間を背負う。
人は様々なものを背負って生きていく。


ぼくが中国・武漢から帰ってきた後、小学校の先生をしているT子さんが、小黒板をプレゼントしてくれた。裏返せばホワイトボードになる黒板、ジャマイカのジミーに日本語を教えたのが初使用だった。この黒板、まだ背負ってはいない。