殺すものと殺されるもの

       殺すものと殺されるもの



宮沢賢治の重要なテーマは「修羅」だった。
童話「よだかの星」で、よだかは嘆く。
「ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。
そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。
ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。」
よだかはずんずん空に上っていき、死んで星になった。
よだかの青い星はいまも燃えつづけている。


童話「烏の北斗七星」。
烏の艦隊は戦争し、敵を殺した。
涙をこぼした新しい少佐は、敵を葬りたいと思い大監督の許しを得た。
少佐はマジェル星に祈る。
「ああ、マジェル様、どうか、憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません。」


童話「なめとこ山の熊」。
金を得るために熊猟をしなければならない小十郎は、殺したくないのに熊を撃ち、町へ売りに行く。
ある日、山で出会った熊が言った。
「おまえは何がほしくておれを殺すんだ。」
「ああ、おれはお前の毛皮と胆のほかにはなんにもいらない。
それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないし、ほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。
けれどもお前に今ごろそんなことを言われると、もうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていて、それで死ぬならおれも死んでもいいような気がするよ。」


童話「銀河鉄道の夜」のなかの「蠍の火」の話。
さそりは、いたちに追われて井戸に落ちた。さそりは祈った。
「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない。
そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命ににげた。‥‥
どうして私はわたしのからだをだまっていたちにくれてやらなかったろう。
そしたらいたちも一日生きのびたろうに。」


「食べるもの」と「食べられるもの」、「殺すもの」と「殺されるもの」、この生き物の構図のなかで、人間の罪を意識する賢治の、帝釈天の反対側にたった闘いが「修羅」だったと読み解く宗左近(「宮沢賢治の謎」(新潮社)。


今日の朝日新聞に、梅原猛が「反時代的密語 天台本覚論とアイヌ思想」を書いている。

 アイヌにとっては、動物も植物も人間と同じような生き物であった。
 熊はあの世では人間と同じ姿で生きているが、人間の世界を訪ねるとき、おいしい肉と毛 皮をおみやげに持ってくる。人間はそれをいただき、礼を尽くして熊の霊をあの世に送った。
 送られた熊の霊があの世に帰り、仲間に伝える。
 それを聞いた仲間の熊が、おれも行こうとやってきて、熊の豊猟がもたらされる。
 動物を殺すことに罪を感じつつ、殺さずには生きていけない人間の生活を肯定するために 考え出した思想なのだろうか。
 この思想こそ、生きとし生けるものにやさしい思想ではなかろうか。
 もしも環境問題解決のためにアニミズム思想の復活が必要であるとすれば、このような一 見不可解な世界観も再考されねばならない。


すべてのものが商品となり、金で売り買いするものになり、
昆虫までも、金でとりひきされている。
文明の進歩は、徹底的に命を商品化して、生きていることの意味を感じられず見えなくしてしまった。
買ってきた命も、いらなくなればゴミに出す。
命の思想、命の物語も家庭から消えしまった。
子どもたちに、命の教育を、まず親によってそして教師によって、なされねばならないと思う。