賢治の祈り

 

f:id:michimasa1937:20140316144915j:plain

 宮沢賢治は、動植物をはじめ、無生物も含めたものたちからなるコミュニティ、社会を考えていた。『なめとこ山の熊』は、動物たちや、人間たちを、同列の参加者とした一種の民主主義、社会の在り方を考えている。辻信一はそう主張していた。

 家にある賢治の本をいろいろ調べると、本の間から毎日新聞の切り抜きが出てきた。少し黄色く変色しているが、見覚えのある切り抜き。そこにボールペンで、1994年と書いてあるから、25年前の切り抜きで、中国の王敏さんの「私見/直言」という記事だった。見出しに「ともに生きる、宮沢賢治の現代性」とある。王敏さんは当時、中国南陽大学客員教授で、日本ペンクラブ会員だった。その記事をここに全文書いておこう。

             ☆      ☆      ☆

 私は、文化大革命後の1979年、中国で初めての日本文学専攻の大学院生募集に応募し、幸運なことに第一期生(十人)の一人になりました。

 院生としての勉強は、毛沢東語録から始まり、小林多喜二のわずかな作品で終わった大学時代とは違い、本格的な日本文学に触れることができました。森鴎外夏目漱石をむさぼるように読みました。

 ある日、日本から派遣された歌人の石川一成先生(故人)のガリ版刷りの教材に、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」がありました。

 読み終わったとき、今まで味わったことのない感動に包まれました。

 この短い詩の中に、普遍的な人生の知恵が含まれている、と感じたのです。

 この詩に描かれている「東西南北」は、作者の住んでいた岩手県や花巻に限られたものではなく、それも人間社会だけでなく、あらゆる生き物が生きている空間を指していると思います。

 その広い宇宙観は、私が幼いころから抱いていた「小さな島国・日本」のイメージを完全に一掃しました。

 賢治の作品、特に童話の背景に流れるものは、「ともに生きる」という思想、と思います。孔子の「君子」や孟子の「王者」になるための人生道とは違い、万人共通の生き方を教えてくれる人生哲学的な示唆です。

 「ともに生きる」は、賢治が生きた明治、大正、昭和初期の日本で社会的な潮流になっていた、単純な自己犠牲や一方的な献身的奉仕を評価する考えを超えています。当時の価値観から一歩進んで、現代にも通用する「生きるための基準」を示していると考えます。

 「雨ニモ負ケズ」に共鳴して以来、私は宮沢賢治の研究に取り組んでいます。童話集「注文の多い料理店」を中国語に翻訳して出版しましたが、これが中国で紹介された最初の賢治作品になりました。

 また、この十五年ほど、日本の社会を研究室として、比較文化比較文学の研究を続けています。いくつかの日本の大学で、講義もしていますが、いつも学生たちに語りかけているのは、宮沢賢治の作品を読んでほしい、賢治が描く「ともに生きる」思想を、人間本来の姿を見つめ、生きる知恵として、日本人の誇りとして、現実の社会で培ってほしい、ということです。

         ☆      ☆      ☆

 詩人の宗左近は、1995年、「宮沢賢治の謎」という著作で、こんなことを書いた。

 

 ヒデリノトキハナミダヲナガシ

 サムサノナツハオロオロアルキ

 ひでり、寒さの夏。こういうものを世界中の農民は、そしてまた農民と共にその地域の住民たちは、大昔から何千年となく体験してきました。けれども、ひでりのときに秋のことを思い、寒い夏に秋の実りのことを思う、そして涙を流したりおろおろ歩いたりする、そういうどうしようもない切なさを書いた詩人が一人でもいたかというと、いないのです。世界の歴史の大昔から今に至る、そして地球の南から北に、東から西に至るすべての存在が、存在の芯にもっている呻きを書いた作品。そういうものは他になかったのではないか。 ……

 これは人間を超えたもっと高いものへの、いわば祈りの言葉以外のものではない。絶望の底からの切ない願望と祈り、そういうものこそがほんとうの詩ではないでしょうか。