大岡昇平「俘虜記」と「野火」 1 アメリカ兵を撃たなかったわけ

 「私は昭和二十年一月二十五日ミンドロ島南方山中において米軍の俘虜となった。」と書き始める大岡昇平の小説「俘虜記」に、「私」が米軍兵士に遭遇した時、相手を殺さなかった心の動きについて書いている。
 ミンドロ島ルソン島の西南にある。フィリピンの島である。圧倒的な米軍によって、日本軍は絶望的な状況にあった。
 「私は既に日本の勝利を信じていなかった。私は祖国をこんな絶望的な戦いに引きずり込んだ軍部を憎んでいたが、私がこれまで彼らを阻止すべく何事も賭さなかった以上、彼らによって与えられた運命に抗議する権利はないと思われた。一介の無力な市民と、一国の暴力を行使する組織とを対等に置くこうした考え方に私は滑稽を感じたが、今無意味な死に駆り出されていく自己の愚劣を嗤わないためにも、そう考える必要があったのである。」
 逃亡する分隊はちりじりになる。「私」は一人山中を逃げて力尽きて横たわっていた。その時「私」の頭には、米軍の兵士が現れたとしても銃を撃つまいという想いが浮かんでいた。
 「私は生涯の最後の時を人間の血で汚したくないと思った。
 米兵が現れる。我々は互いに銃を擬して立つ。彼はついに私がいつまでも撃たないのにしびれを切らせて撃つ。私は倒れる。彼はこの不思議な日本人の傍らに駆け寄る。この状況は実にありうべからざるものであるが、私のこの道義的決意も、人に知られたいという望みを隠していた。」 
 
 実際に林の中をがさがさと音を立てて一人の米兵が現れた。
 「私」は果たして撃つ気がしなかった。それは二十歳ぐらいの丈の高い米兵で、銃を斜め上に構えていた。彼は前方に一人の日本兵のひそむ可能性にいささかの懸念も持っていないように見えた。彼は近づいてきた。「私」は射撃には自信があった。右手が自然に動いて銃の安全装置をはずしていた。撃てば確実に相手を倒すことができる。その時、不意に右手山上の陣地で機銃の音が起こった。彼は立ち止り、しばらく音のする方を見ていたが、ゆっくり向きを変えてその方へ歩きだし、視野から消えていった。
 その後で、「私」は考える。「私」はすでに自分の生命の存続に希望を持っていなかった。しかしそれは相手を殺さないという論理につながらない。「私」は、「殺されるよりは殺す」というマキシムを検討して、そこに「避け得るならば殺さない」という道徳が含まれていることを発見する。「他人を殺したくない」という嫌悪は、「自分が殺されたくない」という願望の倒錯したものだと思う。しかしこの嫌悪は、集団の中で我々の生存が他人を殺さずに保たれるようになった結果である。「殺すなかれ」は人類の最初の立法とともに現れたが、それは各人の生存がその集団にとって有用だったからだ。集団の利害の衝突する戦場では、今日あらゆる宗教も殺すことを許している。
 そこからまた「私」は考える。
 「要するにこの嫌悪は平和時の感覚であり、私がこの時すでに兵士でなかったことを示す。それは私がこの時独りだったからである。戦争とは集団をもってする暴力行為であり、各人の行為は集団の意識によって制約ないし鼓舞される。もしこの時、僚友が一人でも隣にいたら、私は私自身の生命のいかんにかかわらず、猶予なく撃っていただろう。‥‥
 人類愛から発するにせよ、動物的反応によるにせよ、とにかくこの時、私が『撃つまい』と考えたのは事実である。問題は私がそれを実現したか、しなかったかにある。」
 最初は撃とうとは思わなかった。けれども米兵がどんどん近付いてきて、彼が自分を認めたとき、それでも撃たずにおれただろうか。「私」は銃の安全装置を外していた。結局撃たなかったのは、他方で銃声が起こり米兵がそっちへ歩み去ったからであり、一つの偶然にすぎない。
 そこからまた考える。「私」はずっと米兵を見ていた。「私」の想念は米兵によって規制されていた。彼は若く、表情に厳しさがあった。それから彼がさらに前進し、機銃の音に反応して、方向を変えた。
 「私」は撃とうとは思わなかった、という事前の抑制は、「私」の心から出たものであろうか。彼という人物を目の前で見たときの逡巡ではないか。若く美しい彼の相貌が瞬間的に胸を打った。彼が立ち去った後ちらりと頭をかすめた思い、「彼の母親に感謝されてもいいわけだ」は、その時の彼のイメージが「私」の心を打ったことに由来する。
 大岡昇平の小説「野火」では、野戦病院に入れてもらえず、山野を放浪する主人公が、最後に現地の女性を撃ち殺す場面が出てくる。結局最終は捕虜になり命を助けられて収容所に入れられるのだ。捕虜になることで、命が助けられ、日本に帰ることができた。
 「俘虜記」と「野火」は、日本の若者たちに読んでほしい小説である。