岩手県、賢治の故郷、感染ゼロ

 

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 報道のうえでは、コロナウイルスの感染がゼロの県は岩手県である。

 宮沢賢治のふるさと、賢治が「イーハトーブ」と呼んだ、心象世界の理想郷、岩手。

 新聞の感染の記録を毎日見る。おう、岩手、がんばってるぞ。

 

 岩手は日本のチベットと、昔から言われてきた。岩手県の西側を奥羽山脈が高い障壁をつくる。東は太平洋岸ぎりぎりまで北上山地が腰を下ろす。そのなかを北上川が流れ、気温は本州でいちばん低い。暖流が岩手沖を避け、ベーリング海から南下する寒流の親潮三陸海岸を洗う。この三陸海岸をしばしば大津波が襲う。

 内田朝雄はかつて、「私の宮沢賢治」に書いていた。

 岩手は、明治維新の東北戦争でいちばん最後まで戦い、よって明治新政権から厳しい締め付けを受けた。経済の自立は最も遅く、苦難の道だった。

 毎年のように凶作が起きる。娘たちは東京に売られ、嬰児は捨てられた。昭和11年の2・26事件の兵士たちはほとんど東北出身だった。

 「国を守る若い兵たちの家を、恒常的な不幸に縛り付けている政治とは何か。このような疑問から発して彼らの思想が形成されていった。」

 花巻の松庵寺の門前に、三基の供養塔が立っている。「飢饉疫病死供養塔」、「餓死供養塔」、「飢饉供養塔」。

 南部藩百姓一揆は、133件を記録し日本一である。

 「賢治はおのれを鞭打ち、烈しく働き、絶えず病み、血を吐いた。その原因はただ一つ、精神の美食に対する暮らしの極端な禁欲である。賢治が、人間の生に必須の条件を、ほとんど拒否する形で生きてきたことは、これはもはや、世に言う宗教的信念だけでは説明できることではない。これは、何かに対する挑戦でなければならない。」

 

  いかりのにがさまた青さ

  四月の気層のひかりの底を

  つばきし、はぎしりゆききする

  おれはひとりの修羅なのだ