「先生の悲鳴」


    先生の悲鳴


小学校の先生から悲鳴が届く。
病休をとっている先生のところに見舞いに行ったら、
十二キロも痩せて別人のようだったと。
荒れる子どもたちは、
「次の担任の先生も病気にしたろか」
とうそぶき、教師への暴力はエスカレートしていると。
些細なことで不満を抱き、
うまくいかないと人のせいにして、
当たり散らし、人を責め、
親たちも同じレベルで教師を責め、
うわさがメールで瞬時に広がる。
「いったんこけると起き上がれなくなってしまうのです。
先生の言うことをきかんかと叱ってくれた昔の親が懐かしい。」
定年間近の小学校の先生の、悲鳴が心に突き刺さる。
つたない教育でもそれを成り立つようにしてくれた、
昔の親と教師のつながりもすっかり薄れてしまった。
真面目な教師ほど、自分で自分を責めて、おちこみ、
病休でどれだけ多くの教師が休んでいるか、
そのために、どれだけ多くの教育費が費やされているか。
「これからの教師には超能力が必要ではないかと思えてきます。
今、我がクラスの場合は、
得意な子が不得意な友だちに教え、
教える思いやり、教わるマナー、
喜びや感謝の気持ちが生まれつつありますが‥‥。」
かすかな希望、そこにかけて、
教育を創造していくしかないでしょう。
研究を深め、技術と実践力を磨き、
子どもと親の心に働きかけて関係を築き、
この困難な社会に育つ子どもへの新しい実践を創造する。
困難なときこそ力を奮い立たせ、
自分の枠にとじこもらず、
仲間と手を携え、
ピンチこそチャンスです。
荒れる学校を、
子どもたちは本音のところでは願っていないはず。
こんな社会にしてしまった責任の一端を、
自分達もになっているのですと、
いささかのむなしさを覚えながら、
ぼくは励ましのエールを先生たちに送る。