③  犬の話  


 あぶない、轢かれるぞ。
 道路のセンターラインに犬が座って、右から左へと通過していく車を見送っています。
 真ん中まで来たものの、向こうまで渡りきれず、身動き取れなくなっているのでした。よく見かける犬で、左前足が怪我か何かで使えず、いつも左前足をだらんと持ち上げ、三本足で歩いていました。たぶんテリアの血が混じっているであろう、ひげを生やした犬で、宿舎の下にある理髪店の前によく座っていました。けれども、飼い主らしい人の姿は見られません。
 誰かの前や後ろを、付かず離れずにぴょんぴょんと跳んでいくときもあるし、公園に行って他の犬に近づいていくときもありました。でも、三本足だから走るのがゆっくりしていて、他の犬に追いつけません。
 道路の真ん中で身動きできなくなってしまったその犬は、車が目の前を通過するたびに、首を右から左へと動かしていましたが、うかつに動けないことをよくわきまえているようでした。
 車の流れはなかなか途切れません。数十台を見送った段階で、犬はとうとう渡ることをあきらめて、こちら側の車線の車が途絶えたときに戻ってきました。車の危険が分かっているのです。無事に戻れてほっとしました。
 街を歩くと、いろんな犬に出会います。それらの犬はほとんどリードにつながれていない小型犬です。飼い主から少し離れて前や後ろを走りながらも、いつも視線のなかに飼い主の姿をとどめて、自由に行動しています。
 たくさんの人と行き違っても、犬は知らん顔で関心を示さず、すれ違い通り過ぎていきます。飼い主は、犬が離れすぎると声を掛けます。すると犬は行動を修正しています。
 犬を連れて散歩する人たちが、公園の中で集うときがあります。そのときも、犬たちは適度にじゃれたりしながら、穏やかです。吠えたり、けんかしたり、という光景はまず見ることがありません。
 どうしてこんなに穏やかなんだろう。しばしば不思議に思いました。人口の多い国だから、犬も人間に慣れ、飼い主以外の人間には関心も抱かないのかな、とも思いました。公園で朝晩ダンスをしている百人ほどのお母さん達のグループの横で、腰を下ろして静かに待っている犬もいます。もちろん鎖につながれてはいません。他の犬が散歩しているのを見かけると、首を伸ばして眺めているだけです。
「かしこいねえ。かあちゃんを待ってるんだねえ。」
とぼくは声をかけます。でも知らん顔です。
 朝晩公園を通過するとき見かける犬は5頭から10頭、全部で何頭ぐらい公園に来ているのかは分かりませんが、犬を飼う人が増えてきているようです。
 それから数日たちました。理髪店の前には別の黒い小型犬が腰をおろしていました。足に障害を持った例の犬は、その後見かけませんでした。交通事故にでもあったかしら、ちらと心配がよぎりましたが、確かめることは出来ませんでした。
 この犬たちの姿は、なんだか人間社会を映しているようにおもえてなりませんでした。人や他の犬とよく接触している犬は社会性もある、その反対の犬は社会性が養えず、攻撃的になったりよく吠えたりする、日本の犬はどうなんだろう、と考えることしきりでした。