「いただきます」


      いただきます


日本語を学ぶ中国人研修生に、
「あげます」「もらいます」の言葉を教えるのは、
五十音から始める学習が一月ほど進んでからだ。
二人の研修生が教壇に立ってリンゴを手渡す演技をする。
「リンゴをあげます」
「リンゴをもらいます」
「あげる」人から、「もらう」人へ、
リンゴが移動する。
あげる行為、もらう行為のなかに、
あげる心、もらう心が存在する。
それを理解してから「いただきます」を学ぶ。
「いただきます」は「もらいます」の敬語です。
日本では、食事をするときに言います。
どうして食事の前に「いただきます」と言うのでしょう。
今日、何を食べましたか。
昨日は何を食べましたか。
それは何で出来ていますか。
麦、野菜、肉、豆、芋、果物‥‥、
あなたはそれらで昨日も今日も生きました。
それは何ですか。
命、そう命です。
植物の命、動物の命、
人間は他の生物の命を「いただいて」生きています。
空気、水、エネルギーももらって生きています。
植物、動物の育ちを世話してくれた人もいます。
だから「いただきます」と言います。
研修生の顔に、ぱっと光が走った。
理解し、言葉が心に届いたとき、
生徒の顔は一瞬変化するのだ。


日本のある中学校に、生徒の母親から要望が寄せられた。
給食費を払っているのだから、
『いただきます』を言わせないでほしい。」
雑誌「AERA」が驚いてアンケートをとった。
90%の人が答えた、その要望は理解できないと。
生活のなかの、心の実態が言葉を滅ぼす。
「いただきます」も「ありがとう」も、
そう思う心がやせ細り、貧しくなり、
やがて、
心がなくなれば、言葉も滅ぶ。