「卒業生との忘年会」


    忘年会


三十九歳になるシンジが、
「閻魔」という名の飲み屋を開いた。
その店で忘年会をする、と言う。


彼は、中学生のとき猛烈なツッパリ反抗児で、
髪をそり上げ、学ランを着て、
十人の仲間と近隣の中学校に出かけては、
ツッパリ同士の対決をしては勝ちつづけた。
彼の反逆エネルギーは在日コリアの生活から来ており、
権力的な教師には激しく反抗した。
一年生のときの担任はギブアップ、
担任の引き受け手がないので、
二年、三年とぼくが担任した。
矢沢栄吉の大ファンで、
ノートに「栄吉・命」と書いていた。
彼らをつれてキャンプに行き、
魚釣りに行き、
民族学校の生徒たちとも交流して、
信頼関係を深めていくうちに、
クラスの中に彼の位置をつくろうと、
クラスの女の子も男の子も協力してくれた。
ツッパリたちが夜に誰かの家で集まるとき、
その中に入ることを彼らは認めてくれもした。
単車の暴走を学校周辺でやりはじめると、
ぼくはいつも制止に走る。
中学校を卒業してからシンジは、
工務店、活魚店、いろんな仕事をし、
ぼくの引っ越しのときは手伝いに来てくれた。
二人の子どもをもうけて、
「子どもはこんなにかわいいものなのか」
と手紙に書いてくるほど子煩悩だったのに、
離婚してしまった。
「なんで離婚したのや。」
彼の家に一晩泊まって話を聴く。
「おれがわがままやった」


あれからまた十年。
今彼は、店のカウンターの内側で、
「大将!」
と呼ばれながら包丁をさばいている。
店は手作りの質素なものだが、すべては彼のオリジナル。
用意してくれていた席の足もとには、暖かい暖房がはいっている。
客は卒業生十数人。
刺身も、彼の考案したえんま鍋も、おどろくほどうまい。
「『パッチギ』という映画、見たか。」
彼より年下の卒業生、コウタロウ君がぼくに勧めてくれて、
夫婦で見てきた映画。
「見た、見た。」
彼は料理の手を止めて、静かに映画のせりふを暗誦する。
日本人との抗争で命を落とした朝高生の葬儀の席、
訪れた日本人高校生に父親がほとばしらせた嘆きと怒りの言葉。
日本人は、在日コリアの歴史をどれだけ知っているというのか。
だからこそ日本人高校生は禁止されていたイムジンガンを歌った。
「シンジよ。お父とお母、呼んだか」
「いや、まだや」
いちばん心配していた親と打ち解けるのは、
もう少し時間が掛かるのか。
十二時が閉店というのに、まだ客は来る。
シンジは、特別うまいキムチを土産にくれた。