青春の旅

 

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 かつて辻邦生が、次のような文章を書いていた。こういう文章を読むと、なつかしさとともに、熱いものがよみがえってくる。

 

       ☆     ☆     ☆

 

 北杜夫とともに、ローテンブルグから支線を乗り換え、ヴュルツブルグで本線に乗り込んだ時、胸がときめいた。15年来、抱き続けてきた私の北方への憧憬がようやく実現しようとしていた。

 私は、北杜夫と信州松本で、トーマス・マンの作品に没頭したことがあり、トーマス・マンという名を聞くと、雲の美しい信州の風物と共に青春の断片が記憶の底から噴き上げてくるような気持になったものだ。

 トーマス・マンが亡くなった1955年、二人はとても外国に行ける状態ではなかった。

 私たちが4年前の夏、パリで二度目に会った時、

一にも二にもなく、チューリッヒ湖畔のマンの墓に出かけたのは、暗黙の申し合わせができていたからだった。

 私たちは、マンを介して、青春期の、暗い、不安定な、冒険的な気分を呼び戻すことができた。

 私は北に向かう特急が、ハルツの森を抜け、なつかしいゲッチンゲンを通過してゆくのを息をつめて眺めていた。

 

 

 

ぜいたくな朝

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 夜明け前、今朝はマイナス8度、ランを連れて外に出る。煌煌と輝く満月が西の空にあり、感嘆の声を上げた。昨日の宵に見た月がまだ空に残っている。

 昨夜、あまりに見事な満月がくっきりと東山から出ていたから、「すごい光景だ、見ておいで」と妻に声をかけた。妻は外に走り出て、「すごい、すごい」と叫んでいた。

 その見事な月が今、常念岳の肩に沈んでいく。 

 この光景を観ている人はどれだけいるだろう。

 ご近所のOさん、出てきて、見てごらん、

 声を掛けに行こうかと一瞬思った。けれどそれはご迷惑。安眠妨害だ。

山の稜線に月がかかると、何秒ぐらいで完全に没するのかと、数えてみた。約一分ぐらいだ。このときだけ、月の速さが感じられる。

 東の空を眺めると、太陽はこれから昇ってくるところだ。常念岳に日が当たる。

 幽玄にして壮大な天体の美、この素晴らしさを見ることも味わうこともなく、多くの人々はその時を過ごしている。まだ寝床の中にいる人、朝ご飯を準備している人、テレビを見ている人、温かい室内にいて、宇宙の動きを感じることもない。

 

 今日は昼間は温かくなりそうだ。冬耕、あと二畝残っている。スコップを足で踏んで、土を持ち上げ、裏返して土に戻す。ホトケノザ、オドリコソウにつぼみが付いている。もう凍土ではなく、土は柔らかい。

 このごろ、ヒヨドリが毎日やってくる。ヒメコブシの開花を待っているらしい。つぼみが膨らんでいる。花が咲きだすと、たちまち彼らのごちそうとなる。

 

 

 

教員の原点

 

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 かつてぼくは、教育という現場で生きていた。そのころ、しばしば思った。教師たちは本当にプロフェショナルと言えるか。

 NO!

 長野県の教員の犯した問題が時々報じられる。今日は体罰のニュースだ。

 教員免許のない人が学校で教えていたということが問題になったこともあった。確かにこれは大問題。

 「はて」、とそのとき思った。

 教員免許はプロとしての資格証明である。医師免許は、プロとしての資格証明である。ところが、免許はあってもプロとはとても言えない人がいる。
 制度とはそういうものである。免許はもつがプロではない。大学で、プロとして現場に立ってやっていく力を養成してきたか。NOである。現場に入ってから修業してプロに近づいていく過程がその後にあるということなのだ。
 だが、学校の中に、新規に任用された若い教員を育てていく仕組みと実践が存在するか。ぼくが経験してきた学校では、NO!である。

 それにもかかわらず教員採用試験に合格すれば、教壇に立つ。
 学校現場には教員を育てていく仕組みと実践というものは特にない。特別な機関もない。それを可能にするのは、教師集団である。互いに切磋琢磨し、教え合い、教育を創っていこうとする意志集団をつくることである。それが生まれてくれば、若き教員はそこから学び、自らを鍛えていく。

 そしてもっとも重要なのは、教員自らの学びである。学ぶのは実践に生きた先人からと、目の前の子ども、児童生徒からである。子どもたちの前に立てば子どもたちから教えられる。しかし、それも、教員が「教える存在」として君臨している限り、プロの道は程遠い。
 自分で努力して教師になっていく、その過程では多くの失敗もする。何度も歯ぎしりする。教師失格と思うことも何度もある。
 「育てること」と「学ぶこと」、組織がそれを忘れると、必ず組織はゆがむ。

 

 生き生きとみんなで交流し、教育実践が楽しくなる、子どもと暮らすのがおもしろい、そこから教師が誕生する。

 

 

不思議な音

 

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 朝まだ暗い。四時ごろだった。

 ピッ、音が聞こえた。その音で目が覚めた。何の音だろう。

 ピィ、また聞こえた。この音、どこから?

 三度目、音が聞こえ、ふとんのなかで、数をかぞえた。

 約一分ほどしてから、ピッ、ピィ、と来る。妻は眠っている、音に気付いていない。

 金属音のようでもあり、小鳥の声のようでもあり、音がどこから来るのか、暗い部屋の中を見回しても分からない。音は15回、つづいて、その後聞こえなくなった。

 

 起きてから、妻に聞いた。

 「あれ、何の音だろう。」

 「警報機じゃないかな。」

 ははーん、そうか、天井に、小さな火災報知機がくっついている。あれだ、そうだ、それしかない。

 あれは、いつ天井に取り付けたかな。二つ、ホームセンターで買ってきて、天井に取り付けた。脚立に乗って、腕を伸ばして。

 

 あの頃、しきりに言われた。火災報知器を付けよ、付けよ、と。3.11、あの大災害の直後だったかな。そうだとすると、それから10年、今、知らせているんだ。もう10年経ったよ。電池が切れたよ。電池を替えてよ。

 あの地震の時、ぼくは松本から名古屋に向かう特急しなの号に乗っていた。木曽の峠を越えた辺りで、電車は止まって動かなくなった。一時間たって、電車は動き出し、のろのろ運転で名古屋に着くと、新幹線のホームは人であふれ、

 「この列車が、最後の列車になります」

と、アナウンスが叫んでいた。列車はすでに超満員で、身動きもできない状態になっていた。悲壮感がたちこめ、「最後の列車」という言葉が、この世の最期の列車であるかのように聞こえた。

 

 3.11から10年、その後も災害は途絶えることがない。

 

 お向かいの、ミヨコばあちゃんは老人ホームに入り、住んでいた家は壊され、新しい土地所有者が新しい家を建てている。そこにどこからか移住してきた人が住む。

 

 電池を買いに行こう。

 

 

 

森喜朗発言の女性蔑視発言に思う

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 ドイツ文学者、小塩節がかつて著書「ドイツに学ぶ自立的人間」に、「女性の愛」について書いていた。その部分を要約しよう。

       ☆     ☆     ☆

 キリストが十字架にかけられたとき、弟子たちのうち誰が十字架のもとに付いて行ったか。ヨハネだけではないか。十字架のもとに立ち尽くし、師の最期を見届け、遺体を墓に葬り、お参りしたのは、名もない女たちだった。

 そしてイエスが復活して姿を見せたのもやはり女たちに対してだった。イエスは彼女たちの愛に応えたのだった。

 彼女たちの愛に守られ、促され、励まされて、使徒たちはやがて教会創立の道に出ていった。

 

 現代は男女の完全な平等を保障する時代である。日本はまだこの点では遅れているけれども、逆行はもはやあり得ない。

 男女が平等だということは、男女がまったく同じことをするという意味ではない。お互いに助け合い、補い合い、支え合う、互いに魂を守り合う。深い意味で異性どうしの愛がなくては不可能なことである。そこに男女の不思議な神秘がある。

 「人がひとりでいるのはよくない」と旧約聖書のはじめに記されている。

 現代の女性の責任は重い。真実の愛を生き、守り、男女の違いを乗り越えて、ほんとうに創造的にいきていかなくてならないのだ。

    ☆    ☆    ☆

 男性優位社会を当然としている、世の政治家たち、男性たち、森発言をどう受け止めているか。

 

我が家のジョウビタキ

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  毎日、「おジョウ」が楽しみだ。ガラス 戸一枚を隔てて、ベランダのテーブルの上、わ.ずか五十センチほどの距離にいて、こちらを眺めている。

 「おジョウが来たよ」

 これが、我が家の朝のあいさつ。

 細い線香のような脚、黄金色の産毛のようなお腹の毛、ふわふわと柔らかそうだ。つぶらな目は、一ミリほどの大きさ、その目で、こちらを見ている。たぶん、こちらの姿をとらえていると思う 。もう家族だね。

 ランちゃん散歩の時にとってきた草の実を「おじょう」が食べると分って、それ以来あちこち野を歩いて、僕も妻も実を探した。ベランダにそのつる草の実を置いておくと、朝に昼に夕べに、やってきては実をついばんでいる。

 ところが、黄色に色づいた実は、もうなかなか見つからない。進太郎さんの家の垣根に這いあがっている実を見つけ、取っていたら、田植えシーズンになるとよく見かけるオッチャンがウォーキングでやってきて、

 「それ、ヘクソカズラの実だよ。」

と言った。

 「ジョウビタキが食べるんですよ。」

 「そうそう、ジョウビタキ、食べるね。それ毒があるというけどね。」

 「毒? それじゃ、ジョウビタキ、大丈夫かなあ。」

 「もう、実が熟れているから、大丈夫じゃないかな。」

 オッチャンはそう言って、とっととウォーキングしていった。

  飲み水はどうしているのかな。そこで小さな器に水を入れて、餌場に置いてゃったが、今朝はコチンコチンに凍っていた。スーパーマーケットでもらってきた牛か豚の脂肪の塊もおいてやったが、見向きもしない。玄米少々、米ぬか少々、置いてやったが、これはスズメさんが失敬していった。

 ヒヨドリも気づいたらしい。近くまでやってきて、ねらっているが、人間を警戒して、米ぬかを一度食べたが、それきりだ。ギャングみたいにやってきては、野菜くずをあさったり、春にはせっかく咲いたヒメコブシの花を食べてしまうから、我が家では人気が悪い。そのうち「おジョウ」の餌場を占領されてしまうかもしれない。

 妻が、ツルウメモドキの実をもらってきた。これも餌場に置いた。今朝はそれを「おジョウ」が一粒ついばんだ。

 

「ラトビア100年物語 歌と踊りでつないだ誇り」

 

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 NHKで再放送されていたのを録画して、昨日観た。

 圧倒される内容だった。

 大地から湧きおこる、何万の民族衣装を着た人々の歌と踊り、見事なハーモニー。

 ぼくは合唱を聞き、歌い踊る人々の表情を見、苦難の歴史を聞きながら、感動に胸ふるわせていた。

 歌う民族、合唱に生きる民族、ラトビア

 バルト三国は、北から、エストニアラトビアリトアニア。いずれも「歌う国」「合唱の国」と呼ばれ、合唱でつながっている。

 三国はバルト海に面し、ロシアと国境を接する。

 

 ラトビアでは5年に1度「歌と踊りの祭典」が開かれる。

「歌と踊りの祭典」は世界無形文化遺産になっている。ナチスドイツに支配され、つづいてソ連に併合されて、抑圧の歴史を生きてきた。それでも歌と踊りを、民族の誇りを守りつづけ、ついにゴルバチョフの時代に無血の独立を獲得した。

 建国100年を迎え、民族のアイデンティティーを守り抜き、独立を勝ち取った人々の、地の底から湧き上がるような合唱と踊り、シベリアに長く抑留されていた婦人の語りが胸を打つ。

 

 2018年7月、建国100周年を記念し開催された、史上空前規模の「歌と踊りの祭典」、波乱の歴史を紡ぐ大河ドキュメンタリーに、涙があふれた。