朝まだ暗い。四時ごろだった。
ピッ、音が聞こえた。その音で目が覚めた。何の音だろう。
ピィ、また聞こえた。この音、どこから?
三度目、音が聞こえ、ふとんのなかで、数をかぞえた。
約一分ほどしてから、ピッ、ピィ、と来る。妻は眠っている、音に気付いていない。
金属音のようでもあり、小鳥の声のようでもあり、音がどこから来るのか、暗い部屋の中を見回しても分からない。音は15回、つづいて、その後聞こえなくなった。
起きてから、妻に聞いた。
「あれ、何の音だろう。」
「警報機じゃないかな。」
ははーん、そうか、天井に、小さな火災報知機がくっついている。あれだ、そうだ、それしかない。
あれは、いつ天井に取り付けたかな。二つ、ホームセンターで買ってきて、天井に取り付けた。脚立に乗って、腕を伸ばして。
あの頃、しきりに言われた。火災報知器を付けよ、付けよ、と。3.11、あの大災害の直後だったかな。そうだとすると、それから10年、今、知らせているんだ。もう10年経ったよ。電池が切れたよ。電池を替えてよ。
あの地震の時、ぼくは松本から名古屋に向かう特急しなの号に乗っていた。木曽の峠を越えた辺りで、電車は止まって動かなくなった。一時間たって、電車は動き出し、のろのろ運転で名古屋に着くと、新幹線のホームは人であふれ、
「この列車が、最後の列車になります」
と、アナウンスが叫んでいた。列車はすでに超満員で、身動きもできない状態になっていた。悲壮感がたちこめ、「最後の列車」という言葉が、この世の最期の列車であるかのように聞こえた。
3.11から10年、その後も災害は途絶えることがない。
お向かいの、ミヨコばあちゃんは老人ホームに入り、住んでいた家は壊され、新しい土地所有者が新しい家を建てている。そこにどこからか移住してきた人が住む。
電池を買いに行こう。