月と太陽のショー

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今朝、

夜明け、

満月が西山に傾いていた。

一晩輝いていた満月、その表面が見える。

東山を見ると、しののめは紅く染まり、

西山はモルゲンロートを待っている。

 

予感する。

西山の常念岳に満月が沈むとき、

東山の美ケ原から日が昇る。

沈む満月と昇る太陽とが一致し、

西山はモルゲンロートに染まり、東山はしののめが輝き、

太陽と月は交代する、天体ショーの始まりだ。

 

氷点下五度、風なし。

ぼくとランは、野のベンチに座って、

これからはじまる荘厳なドラマを見守っていた。

気になるのは西山の上だけにかかっている薄雲だった。

 

雲は次第に少なくなりつつあった。

が、

残念、月は雲の中に入った。

雲を通して、それでも月は輪郭を示していた。

 

カラスが数羽、西に飛び、

日が山の端から顔を出した。

月は雲に消えていたが、

アルプスは紅に染まった。

 

寒さが体にしみた。

 

カナダの多文化共生の歴史

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高賛侑君は、1963年、私が中学教員になって三年目の初めての卒業生だった。彼は教え子だが、今は彼から私が教えを受ける。

 あの年、高君は学級委員長だった。私は、秋に学級弁論大会を実施した。コリアンの女子、ミンジャが弁士になって、教壇に立って発表した。それは、哀しい怒りの炎に燃える演説だった。

 「私は朝鮮人です。なぜ、朝鮮人はバカにされ差別されるのですか。」

 在日コリアンの高君の顔が青ざめた。私は内心うろたえた。その告発を受け止めて、そこからこの差別の根源をたぐり寄せ、「撃つ」、「創る」、「共に生きる」、新しい教育の認識、方法実践を私は持っていなかった。

 その後、高君は成人して、民族問題のルポライター、作家、研究者になった。日本の中の差別、人権侵害、海外の国々の実態を探求し、世界を旅して社会を掘っている。彼はいくつもの著作を出版した。

 

 「ルポ 在日外国人」(集英社新書)に、彼は書いている。

 カナダには17世紀初め、フランスとイギリスが植民地を建設したが、両国の抗争が起こり、1759年、イギリスが勝利した。フランス人はケベック州に囲い込まれた。フランス系人の胸中にイギリス系住民への強い反感が刻まれた。フランス系人はイギリスの統治から独立を求める活動を始め、1926年、外交権を獲得、そしてイギリスからの自治権も獲得し、立憲君主国家のカナダとなった。

 カナダの白人は、ホワイトカナダの形成を理想とし、非ヨーロッパ系の移民を規制した。中国人、日本人の移民には人頭税を課して、制限した。

 太平洋戦争の時は、日系人強制収容所に収容した。人種差別政策は戦後もつづき、移民の80%がヨーロッパからの人たちだった。

 このような移民差別政策が1960年代に変わる。きっかけはケベックのフランス系住民が独立運動に立ち上がったことだった。カナダは分裂の危機を迎えた。そこから劇的な変化が起きる。

 1971年、カナダは、英語とフランス語を公用語とする、多文化主義を導入することを宣言。

 1977年、人種、出自、皮膚の色、宗教、性別による差別を禁止する人権法を制定。

 1982年、憲法に、多文化主義と平等権を明文化。

 1988年、多文化主義法を制定。

 「カナダ憲法は、すべての個人が法のもとに平等で、法の保護と恩恵を、差別なく受ける権利があり、すべての個人には、良心、宗教、思想、信条、意見、表現、平和な集会、結社の自由があり、これらの権利と自由は、男女平等に保障される。」

 具体的政策。

 ・多文化主義はカナダの基本であり、カナダの将来を形作るかけがえのない資源である。

 ・すべての個人は、法のもとに平等であり、平等な取り扱いと保護を受ける。

 ・英語、フランス語以外の言語を保存し、保存を増進する。

 

 

 

 

何故なんだ?

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 小学生の、P君、桃子、コンキチ、よね、タブゾウと話をした。

 

「昔、日本は戦争をしました。相手の国はどこですか?」

アメリカ、中国です。」

「それだけですか?」

ソ連ともしました。」

「そうです。アメリカ、ソ連、中国、そのほかイギリス、オランダ、オーストラリアの軍隊も日本の敵でした。その後、ソ連はロシアになりました。これらの国はどんな国ですか?」

「世界の大国です。」

「そんな国を相手に戦争した。なぜかな?」

「勝てると思った。日本は強いと思っていた。」

「相手の国を、自分の領土にしようと考えた。」

「日本が正しいから、負けないと思っていた。」

「日本には、神様がついていると思っていた。」

「誰がそういうことを思っていたのですか?」

「国のえらい人。」

「軍隊のえらい人。」

天皇。」

「国民もそう思っていた。」

「どうして、勝てると思っていたのでしょう?」

「日本は大きな軍艦をたくさん造って、もっていた。」

「日本の兵隊は ユウカンで強いと思っていた。」

ゼロ戦という、速く飛ぶ戦闘機を持っていた。」

「学校で先生がそう教えていた。」

「戦争した結果はどうなりましたか?」

「日本が負けました。」

「たくさんの、たくさんの人が死にました。」

「原爆を落とされ、たくさんの人が死にました。」

「日本中の町が、空襲で焼かれました。」

「日本軍もたくさんの外国人を殺しました。」

 

「今も、戦争は世界のどこかで続いています。強い兵器をもつ国が増えています。軍備を増やしています。

 核兵器の核弾頭の数は、

 ロシア  6370

 アメリカ 5800

 中国    320

 フランス  290

 イギリス  195

 パキスタン 160

 インド   150

 イスラエル  90

 北朝鮮    35

  これは、長崎大学核兵器廃絶研究センターの推計です。今朝の新聞発表です。」

 「センセイ、それらの国で、核兵器をつくろうとするのは、誰なんですか。どうして、そんなにたくさん造り続けるのですか。」

 「誰なんだろうね。どうしてだろうね。」

 「人間は、ばかなんだ。」

 「強い国になりたいんだ。」

 「オレの国は強いんだぞと、いばりたいんだ。」

 「そうだ、きっとそうだ、おどしたいんだ。」

 「ほかの国を、従わせたいんだ。」

 「コロナウイルスが世界中に広がり、病院で治療も受けられない人が多いのに、食べ物も住むところもない難民がたくさん苦しんでいるのに、兵器、軍備を増やしているんだ。‥‥‥」

 

 

 

今朝公民館で思ったこと

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今朝は8時から地区の公民館の掃除当番だった。

毎月第二日曜日が清掃日になっている。ぼくの所属する班ともう一つ別の班が、今年度一月十日が当番。

ぼくの班はたったの4軒。旧村地区の外に後から建てられた住宅地。もう一つの班は村中の11軒。

ぼくは今年度の班長になっている。

コロナウイルスの危機が長野でも広がってきた。感染者も増えつつある。こんな時に、多数が集まるのは、危険だぞ。

区長に夕べ電話した。それでも公民館清掃やるべか。

うーん、まあ短い時間で簡単にすませましょ。

今朝、早めにマスクして公民館に行った。もう一つの班のお母さん班長がもう来ておられた。手早く、済ませましょ、と打ち合わせして、準備。

そこへ、どかどかどか、11人がマスクしてやってきた。なんともう一つの班は、お母さん連合だ。

清掃開始、速い速い、掃除機かける人、乾燥モップで床を拭く人、テーブル拭く人、

トイレに水を流し洗う人、実に要領が良い。わが班の男性2人は、外の公園のゴミ拾い。

あっという間に終わり。

その後、ぼくは、見とれた。

お母さん連合、円く輪になり、意見を交わし始めた。何かの打ち合わせか、意見交換か。ぼくは横で観察していた。いいじゃないか、いいじゃないか。お母さん、いいぞ、いいぞ。

しかし、「掃除は女房」と決めていやしないか、おたくらの旦那。

ぼくは、市長も副市長も教育長も、校長も、区長も、男性でなければ務まらないと決めているようなこの市の風土、それを変えねばならないと思っている。

女性市長、女性区長、女性教育長、女性校長が誕生するようにならなければこの市は変わらない。

頑迷男性がボスになる風土。これを変えなければならん。

 

 

 

 

人類の危機と文明

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 世界を覆いつくすかのようなコロナウイルスの脅威。それを考えていると、あの映画が頭に浮かんできた。

 グレゴリーペック主演の、「渚にて」。かなり以前の映画だ。

 1964年、第三次世界大戦が勃発し、核爆弾が使用された。世界は滅亡に向かう。放射能は北半球を汚染し、生物は壊滅。海の中にいたアメリカ軍の一隻の原子力潜水艦は、放射能がまだ来ない南半球へ逃げ、オーストラリアのメルボルンに入港する。だが、放射能汚染は南半球にも迫ってくる。死は時間の問題だ。

 乗組員は、同じ死ぬのなら故郷の地で死にたいと、それぞれの故郷へ潜水艦を移動させ、その地に近づくと浮上して、艦から下ろしていった。地上を見ると、街には人っ子一人見えない。みな死に絶えていた。陸に上がった乗組員は、最後のひとときを釣り糸を垂れたりして浜辺で過ごす。そのシーンが心にしみた。

 

 その映画を思い出すと、連想はチェルノブイリ原発事故に移った。あの事故で放射能を含んだ空気は西のヨーロッパ諸国に流れ、大きなパニックを引き起こした。

 また連想は、福島原発事故に移った。

 そしてコロナウイルス

 文明が引き起こす、人類の危機。

 だが、国家のエゴは今も滅亡のシナリオを書きつづけている。 

スズメを獲りにくる人

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 毎年、冬のこの時期になると、無双網でスズメを獲りに来る人がいる。我が家の近くに、半分耕作放棄地のようなところがあり、背丈より高いススキのような草が茂っている。冬になって枯れたくさむらは、スズメの餌場になっていて、毎日何十羽何百羽と群れていた。そこが狙われた。スズメ獲りは、くさむらの下の田圃に餌をまき、網を仕掛け、たくさんのスズメをとらえて、売りに行く。スズメが減っているというニュースもあり、いくら狩猟期間だからと言って、このような猟がつづけられていいのか、疑問におもって日本野鳥の会にメールを送った。

 

 「最近も>雪の降った翌日、背丈の高い草の生えているところへ無双網を仕掛けていました。何十羽か、獲ると、松本へ売りに行くようです。猟解禁だから、いいのだと、獲っている人は言います。けれど、スズメも数を減らしているようで、こんな猟が認められるのかと強い疑問を抱きます。以前、ツバメの調査をしたモニターです。」

 

 返事が来た。

 「メールをいただいた件ですが、網猟免許を持っており、長野県にその年度の狩猟者登録をしていれば
狩猟期間(11/15から2/15)で場所が禁じられていない場所であれば合法です。なお、免許を持っている人が猟をする場合は、網に標識をつけることになっています。
 密猟の場合もあるかもしれませんので、もし確認したほうがよいようでしたら、警察に連絡して確かめてもらう、という方法はあるかと思います。
 狩猟は、資源である対象鳥獣を減らしてしまってはもともこもなく、その地域での生息に影響のない範囲で行うことが趣旨です。
 狩猟鳥獣は鳥獣保護管理法によって決められていますが、狩猟者は毎年捕獲数を 
都道府県に報告する義務があり、都道府県から集計結果が環境省に送られてきます。環境省では、著しい減少がないかなどをチェックして、必要に応じて狩猟鳥獣から外すなどの措置も行っています。近年ではウズラが狩猟鳥獣から外れました。
 一方、都道府県でも独自に、狩猟鳥獣や捕獲個体数などの制限をかけることがで きますので、長野県で近年スズメが減ってきているということを県に資料として 示すことができれば制限をかけることは可能かと思います。
 参考になりましたら幸いです。」

 公益財団法人 日本野鳥の会 普及室 普及教育グループ

 

 「長野県で近年スズメが減ってきているということを県に資料として 示すことができれば」というが、これはどうすれれば、データをとれるのだろう。観察して、数を出し、それを何年間か続けなければ、データがとれない。

 「」

親しくなった人たち

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今は夜明けが一年でいちばん遅い。

今朝は気温マイナス3度、ちょっと温かい。一昨々日はマイナス8度。

ランを連れて外に出る。まだ暗いが、東の山の端が明るくなってきている。

ダウンの分厚いコートを着ているから、体は温かい。

薄暗がりのなか、背の高いご婦人に出会った。声を交わす。

「もう少ししたら、北アルプスのモルゲンロートですよ。」

「それ何ですか。」

「山が紅く染まります。モルゲンはモーニング、ロートはライトです。」

今朝はいい天気だ。360度、ぐるっと見渡すと、四方八方の山、山、山、白馬連峰、北信の山、南アルプス、全部見える。

3号ベンチに来ると、ベンチに霜が降りていて、そのベンチに今朝誰かが座ったのだろう、霜がお尻の形に解けている。先ほどの御婦人、ここに座ったのかな。お尻、濡れなかったかな。

ランちゃん、ウンチした。

ランウン用に折りたたんだ小さな新聞紙でウンチをとって、バッグに入れる。今朝のウンチは固い。

「はるかな友へ」を歌いながら歩く。歌詞の2番目の一部「明るい星の夜は」の後の一節が出てこない。

途中で引き返す。

いつも出会う男性が後ろからやってきた。

「あの東の、美ケ原とその右の高ボッチ山との間にある、とがった山、あれ霧ケ峰でしょうね。」

と、声をかけた。

「いやあ、私は山はあまりよく知らないんですよ。家内はよく知ってますが。」

歩きながら会話を交わす。

ウォーキングでよく出会い、言葉を交わす人は、女性が6人、男性が3人。ほとんどが高齢者か高齢前の人、よく話をする人とは、会話が弾む。初めは名前も知らなかったが、自己紹介して、親しくなった。韓国人の女性は、生まれ故郷のこととかを話してくれた。日本人の夫との出会いまではまだ語っていない。ちょっと体に病があるとのこと、幸せであればいいがと思う。

よく出会っていた人が、出会うことのない日が続くと、どうしているのかなあ、大丈夫かなあと思う。

昨日は、ぼくの誕生日だった。小学生の孫娘が電話で、おめでとうと言ってくれた。何歳?と聞くから年を言うと、えーっと叫んでびっくりしていた。

屋根の北側の雪がそのまま残っている。

ジョウビタキが相変わらず、訪問してくれる。何を食べているんだろう。