かつて辻邦生が、次のような文章を書いていた。こういう文章を読むと、なつかしさとともに、熱いものがよみがえってくる。
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北杜夫とともに、ローテンブルグから支線を乗り換え、ヴュルツブルグで本線に乗り込んだ時、胸がときめいた。15年来、抱き続けてきた私の北方への憧憬がようやく実現しようとしていた。
私は、北杜夫と信州松本で、トーマス・マンの作品に没頭したことがあり、トーマス・マンという名を聞くと、雲の美しい信州の風物と共に青春の断片が記憶の底から噴き上げてくるような気持になったものだ。
トーマス・マンが亡くなった1955年、二人はとても外国に行ける状態ではなかった。
私たちが4年前の夏、パリで二度目に会った時、
一にも二にもなく、チューリッヒ湖畔のマンの墓に出かけたのは、暗黙の申し合わせができていたからだった。
私たちは、マンを介して、青春期の、暗い、不安定な、冒険的な気分を呼び戻すことができた。
私は北に向かう特急が、ハルツの森を抜け、なつかしいゲッチンゲンを通過してゆくのを息をつめて眺めていた。