貞享義民とおしゅん、朗読劇

 

    11月23日に、安曇野市三郷にある貞享義民記念館で、「おしゅん 加助騒動と少女」朗読劇の最終公演があり、洋子と二人で鑑賞してきた。

    貞享義民記念館は、江戸時代、飢饉に苦しみ、重い年貢にあえぐ百姓たちが、支配者の松本藩に立ち向かった農民一揆の義民を顕彰して建てられた。葉を落としたケヤキイチョウの大木の並ぶ参道のような奥に、質朴で床しい記念館があり、その二階が公演会場だった。部屋の大きさから限定された観客数は100人、薄暗がりの舞台に三人の女性の語り手が並び、サイドの女性の演奏するマリンバがBGⅯとなって、農民たちと16歳の少女の悲劇は語られていく。

    300余年前の江戸時代、松本藩主は農民の年貢を、収穫の6割に引き上げた。それまでの5割でも過酷だったのに、さらに米を供出せよという。米の収穫が凶作で百姓が飢えても、藩は容赦しない。ついに農民は直接行動に出た。庄屋の加助をはじめとして13名の農民が、集団で松本藩に年貢軽減を訴え出ることになった。そこに一揆の主導者の一人小穴善兵衛の娘、16歳の「おしゅん」も加わり、加助の村だけでなく、近隣の村からも直訴隊に加わるものが出て、人数は増えた。

    しかし加助たちの訴えは聞き届けられず、松本藩は直訴した農民十二人を「磔(はりつけ)」の刑、十四人を「さらし首」に処した。16歳のおしゅんも処刑された。

    明治13年、この悲劇を悼んで貞享義烈碑が建てられた。碑文に次のような言葉が刻まれている。

    「加助村長、ひそかに思えらく、身を殺して、もって仁をなすの語あり、今わが生を捨てて、もって民の苦しみを救わざれば、暴政はやまじ。‥‥加助、磔柱に上るや、悲憤して曰く、『死して鬼となり、これに報いん 』、柵外に見るもの千百、‥‥ああ、加助 藩政に横死して 明治の時代に称揚せられ、自由民権を論ずるものの宗とするところとなる。在天の魂もまたもって少しく慰めらるべし」。

 

     この「おしゅん」の朗読劇は、貞享義民300年祭の節目に、児童文学者の大坪かず子さんが物語にし、それをもとに絵本美術館「森のおうち お話の会」の酒井倫子さんが朗読劇に仕上げたものだった。2014年から今年で公演10年になり、今秋が最終となった。

 三人の女性の語り手は、一時間の朗読劇をたっぷりと心に響く発声で演じられた。

 

    このような歴史が記念館に保存され、朗読劇となった安曇野、私は安曇野に引っ越してきて十数年になる。が、この歴史をいくらか知ってはいたが、ここを訪れることがこれまでなかったことを恥ずかしく、残念に思う。

    また、この歴史や記念館や催しを、市民や学校の教員、児童生徒たちがどれだけ知っていたのだろうかと、気にもなった。