子どもたちの夏休み

 

 子どもたちの夏休みも終わる。

 自由を謳歌し、好奇心をかきたて、学校から解放されて、冒険、探検を楽しむ、それが子どもたちの夏休み。それが私の夏休みだった。

 では今の日本の子どもたちは、どんな夏休みを送ったのだろう。

 ぼくは「夕映えのなかに」に、無数の生き物に囲まれ、友情の世界に生きた子ども時代の「自由な夢の国」と、教員になってから、生徒たちを連れて、山や川の探検と冒険の世界に放した数々の体験を描いた。まさに夏休みは「子どもの天国」だった。

 だが今、日本の子どもの夏休み、街や野に、子どもの姿はなく、声も聴かない。

 ぼくの頭に鮮明に残っているチロルのインスブルックの記憶がある。九年前、チロルの山のトレッキングをした。

 インスブルックの街には、子どもたち、若者が至る所に見られた。夏休みは二ヶ月間、たっぷりある。夏休みは子どもたちにとっては、楽しい季節だ。友達と一緒に自由を謳歌する、思い切り遊ぶ、冒険をする。
 小学生たちが、旧市街の道路に、絵の具で大きな絵を描いていた。高校生のグループが山をトレッキングしている。中学生のグループが郊外のスポーツ施設や、植物園などに、出かけていく。街の中では美術館、博物館などに出かける子らがいる。
 音楽が街にあふれ出す夜、7時、8時になっても明るい。王宮の中庭がコンサート会場になっている。いきなりブラスの響きが起こった。見れば、チロルの衣装を着たブラスバンドだ。別の街角では、合唱グループが歌っていた。

 列車の車両の一部に、座席のない、がらんとした空間がある。自転車を持ち込むところだ。全国どこでも、サイクリングできる条件が整えられている。列車で自転車を運び、走りたいところで降りて、チロルの野を、村から村へ走る。川の両岸に、サイクリングとウォーキングの出来る道が整備されている。
 夕方、ビヤホールは大繁盛だ。道にあふれる座席で乾杯。

 チロルの夏休み、大人も子どもも、解放感にあふれ、自由を謳歌し、遊び、学び、体験して、友情を交わし合っていた。

 

 日本の子どもたちよ、夏休みは友達といっしょに遊ぶのだ。冒険するのだ。探検に出かけるのだ。自然観察をするのだ。友情を交わすのだ。宿題、塾、そんなものは消えて無くなれ。