「これはポグロムの、“けしかけ”じゃないか。なんで、誰ひとり、このことを言わないのか。」
1972年、テレビ中継を見ていた中野重治がこう思った。
テレビは番組を変更して、長時間にわたって実況中継した。事件は浅間山荘事件、「連合赤軍」を名乗る者たちが銃を持ち人質を取ってたてこもり、それに対して警察隊が攻撃をかけ、山荘を破壊して人質を解放、犯人たちを逮捕した。中野重治は、そのとき異常なものを感じた。
「これはポグロムの、“けしかけ”じゃないか」
逮捕された5人が縛られて出てくる。ふらふらで首が支えきれない。がくりとなる。警官が髪をつかんで、ぐいと引く。見物していた野次馬が叫ぶ。「人殺しをやっつけてしまえ」、「もっとやれ、もっとひどくやれ」。警官が犯人たちをさいなめばさいなむほど、群衆が興奮する。
それを見て、中野重治は「これはポグロムの、“けしかけ”じゃないか」と感じた。そして思った。これは最高法規の憲法違反、公務員の犯罪だ。憲法第99条違反だ。
中野重治はなぜそう思ったのか。
憲法第99条「天皇又は摂政、及び国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う」
警察官は、憲法尊重擁護の宣誓をしている公務員だ。その公務員が、憲法に反する行為をしているではないか。
「ポグロム」とは何か。広辞苑では、「破滅、破壊の意味。ユダヤ人とその財産に対する集団的な襲撃、破壊、虐殺、1881年以降、ロシアで繰り返された。」
ブリタニカ大百科事典は、「ポグロム」をこう説明する。
「ボグロムは、ユダヤ人に対する組織的な掠奪や虐殺を意味するロシア語である。この語が世界的に有名になったのは、1903年4月の、ウクライナのキシニョフ(現在はモルドバ首都)におけるボグロムからである。ロシア皇帝アレクサンドル三世治下のロシアでは、宗務院長によって、また皇帝ニコライ二世時代には内相によって、極端な反ユダヤ人政策がとられ、国内の不満をそらせる目的から、政府の奨励、黙認のもとに、大規模なボグロム(組織的な虐殺)が行われた。さらに日露戦争に敗北してからは反動的な黒百人組(極右的暴力的な団体の総称)などによって愛国的ボグロムが行われた。その後、この言葉はナチス・ドイツのユダヤ人虐殺にも用いられた。」
中野重治の批判はどこにあるか。
警察官は、憲法を守る宣誓をしている公務員である。その警察官が、公然と、犯人へのリンチを行っている。さらに犯人の人質になっていて救出された牟田泰子さんに異常な圧力的行動をとっている。牟田さんは病院に入り面会謝絶になった。だが警察の幹部は病院にはいって牟田さんに説得し強要した。犯人たちに同情してはならない、と。
犯人への非難の世論はごうごうと湧き起り、犯人の父親の一人が自殺した。その遺書が公開された。
「人質にされた方には心からお詫び申し上げます。死んで許されることではありませんが、死んでおわび申し上げます。あとに残った家族を責めないでください。」
犯人の家族も、ボグロムにさらされ、命を捨てることになった。