建国の精神は日本国憲法にあり


 学校の授業のなかで、教師が脱線話をすることがある。「今朝、出勤するときに道路で犬の糞を踏んでしまってねえ、フンガイしたよ。」なんて、たわいないだじゃれまじりもあるけれど、脱線話のほうが教師のホンネが聞けておもしろいことが多い。そこに教師の生の姿が現れる。脱線話のない教師は無味乾燥、楽しくない。
 一昨年、この世を去った作家の井上ひさしが、出身校の上智大学で講義した記録「日本語教室」(新潮社)のなかの、次の脱線話はとりわけ印象に残る。
 こんな話をしている。
 アメリカがアフガニスタンを攻撃することを始めたとき、パナマ生まれの15歳の女子高校生が、Tシャツに、空爆に反対しますと書いて登校した。そうしたら、同調者が20人出た。校長はその少女を三日間の停学処分にした。すると、少女とお母さんが、アメリ憲法はこうした行動を保証しているはずだと、州の裁判所に提訴した。しかし、訴えは却下された。そこで、次に、連邦の最高裁に提訴した。少女はみんなにいじめられて、学校をやめてしまう。最高裁はどういう判断をしたのか、そこは語られていない。
 続いて、バーバラ・リーという議員が、戦争の予算と指揮権を大統領にあずける決議に、アメリカ合衆国議会でたった一人反対する。それに続いて、リーの地元のバークレー市議会が、空爆に反対する決議をした。それが飛び火していろんなところで、空爆反対の決議がなされていく。
 このような情報は日本に伝わっていないと言いながら井上ひさしは、
「こういうアメリカがぼくは好きです。圧倒的多数が空爆支持、ブッシュ支持というときに、やっぱりきちっと反対する人は反対する。」
と述べて、次のように話す。
 「メリー・ホワイトというボストン大学社会学の先生が、『ニューズウィーク』誌に書いた『アメリカはよい国か』というタイトルのエッセイ集をご紹介しましょう。ぼくは感動して、もう全文暗唱しています。『アメリカはよい国か。イエス』とまず書いてあるんです。いい国である。『ただし、奴隷制や、先住民抑圧や、日系人の強制収容や、無差別爆撃や、原子爆弾の投下や、ベトナム戦争がなければの話だが』と続くのです。この人はサービスに、『日本はよい国か』とも同時に書いています。やはり『イエス。素晴らしい国である』と。そして『ただし』というのが。また入るんです(学生の笑い)。『台湾・朝鮮の植民地化、満州国のでっちあげ、それから沖縄とアイヌに対する差別、被差別部落、それから在日韓国・朝鮮人に対する抑圧、それから従軍慰安婦問題、そして南京虐殺を除けばだが』と続いています。
 これを読んでぼくは、結論が出たなと思いました。完璧な国などないわけですね。かならずどこかで間違いを犯します。その間違いを、自分で気がづいて、自分の力で必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来があるけれども、過ちを隠し続ける国民には未来はない。つまり、過ちに自分で気がついて、それを乗り越えて苦労していく姿を、他の国民が見たときに、そこに感動が生まれて、信頼していこうという気持ちが生まれるわけです。ところが、自分の国はほとんどいいことばかりしていて、あのときはしようがなかったという人たち―― 一見、愛国者に見えますが―― そういう人たちの国には未来はない。なぜなら、他の国から信頼されないからです。
 日本の悪いところを指摘しながら、それをなんとか乗り越えようとしている人たちがたくさんいます。私もその端っこにいたいと思っていますが、そういう人たちは売国奴と言われています。でも、その人たちこそ、実は愛国者ではないのでしょうか。完璧な国などありません。早く間違いに気づいて、自分の力で乗り越えていくことにしか未来はない、ということを講座の脱線と結びにしたいと思います。」


 1月30日に開かれた日本教職員組合の教育研究集会で発表した教師にまつわるニュースが先日新聞に掲載された。
 長崎・五島列島に住む教師は、日中戦争時に報道された新聞記事を中学校の授業で使った。使ったのは、日本軍の将校が、どちらがはやく100人を切るか競ったという当時の新聞記事で、それは戦時中であったから二人を英雄視して戦意を高揚させるものだった。教師は、アウシュビッツの大虐殺、多くのユダヤ人を救った日本の外交官・杉原千畝など資料を使って戦争の実態を生徒たちに考えさせ、意見を出しあった。その教育実践を日教組の教育研究集会で発表した翌日、ある全国紙が、「自虐的教育を報告」と批判。インターネットがその教師の学校をあぶりだそうとし、五島列島の六つの中学校と教育委員会に電話が殺到してパンク、学校と教師を調べ上げた者がそれをネットに載せ攻撃が始まる。右翼の街宣車が島に来た。
 戦後67年、これが日本なのだ。
 歴史的事実を授業で取り上げると攻撃が起こる。そこで躊躇した学校や教師たちは、教えることをやめてしまう。日本の子どもや学生・青年たちは、歴史を知らないままに社会に出る。世界は知っていて、日本人は知らない。そんなことで世界を舞台に活躍する人間が育つか。


 今日は憲法記念日。昨日、憲法学者樋口陽一(77)の談話が新聞に出ていた。
 「1945年7月に、アメリカ、イギリス、中国の三カ国が、日本に降伏を求めたポツダム宣言に、こんな文言があります。『日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去すべし』。戦前の日本には民主主義があったことを、ほかならぬポツダム宣言の起草者が認識していたわけです。
 日本国憲法を『この国に合わない』『押し付けだ』と非難する人たちがいますが、それは違う。この憲法の価値観は、幕末以来の日本の近代と無縁ではありません。明治の自由民権運動や、大正デモクラシーといった、幕末・明治以来の日本社会の『持ち物』とつながっています。むしろ1935〜1945年の国粋主義全体主義の時代こそ、幕末からの流れと異なるものだった。ポツダム宣言軍国主義に染まる前の日本の民主主義を『復活強化せよ』といい、日本政府はそれに調印したわけです。
 日本国憲法が想定している人間像とは、一人ひとりが自分自身の主人公であり、主人持ちであってはいけない、というものです。誰かがではなく、自分で自分のことを決める。作家の井上ひさしさんは、人間にも砥石が必要だと、言いました。砥石で自分を磨いて、立ち位置や居住まいをただす、それが憲法の言う人間像であり、人権の基本です。」(朝日)
 94歳の思想史研究家の武田清子も、日本の民主主義の下地に戦前のデモクラシーがあったことを指摘し、今の日本が歴史に鈍感で、日本人の個的主体性の根っこが無くなってきていることを憂えていた。

 日本の学校で歴史を教えるとき、戦前の何を取り上げて生徒や学生たちに考えさせるか、命を賭して非戦、平和、民主主義のために闘い、弾圧の中で消えていった民の事実をこそ大切にしたい。