住井すゑ「牛久沼のほとり」から  2



 

  椎(しい)の花 散るべくなりて 降りしげく

  雨といえども 牛たがやせり

 

    すゑに届いた知人からの手紙に書き添えられていた、60歳の農夫の会心の一首。

    住井すゑは、この歌にはすぐれた季節感があり、時間に制約される農業のきびしさが映し出されていると思う。「田植え」という言葉を使わずに、田植え期の多忙をかくも見事に表現できたのは、雨にそぼ濡れ、泥土にまみれて代(しろ)を掻く、「百姓」そのものだからではないかと。

 「苗代(なわしろ)とか、代掻き(しろかき)と言われている、その代(しろ)について伝えたい。

 その昔、この国では土地の面積を測る際、単位に代(しろ)をあてた。一代(ひとしろ)というのは、稲一束が得られるほどの面積で、百束の稲が得られるのは、百代田(ももしろた)、千束なら千代田(ちしろた)である。要するに、稲の作れる場、それが代(しろ)である。

 農夫から便りを受け取ってから三日目、私は東京へ行くべく家を出た。気が付くと、椎の老木も早や花の盛りが過ぎて、落花があたりを黄金色に染めている。

  椎(しい)の花 散るべくなりて 降りしげく

  雨といえども 牛たがやせり

  口ずさみながら、もしかしたら牛を引く知人の姿が車窓から見えるかもしれぬと、心がはずんだ。沿線一帯はまさに田植えの最盛期。どの田んぼも、牛、人、人、人で、どれが知人か見分けがつかない。」

 

 昭和31年、戦後11年、このような田園風景がまだあった。だが今、田植え機は、あっという間に一枚の田んぼを植えてしまう。早乙女が並んで手植えする風景は、はるか昔の物語となった。

 住井すゑは、「代(しろ)の語も忘れ去られてしまうのではないか」と嘆く。

 今、安曇野はみごとな緑に輝いている。田んぼに流し入れる水の量を調整する人の姿だけが朝夕に見られるだけで、後は人影なしとなった。ツバメの姿も、カエルの声も、水生昆虫も、極端に少なくなった。