田部重治の紀行文

                   前穂高岳 北尾根(息子の拓也撮影)

 

 田部重治の紀行文。

 

 

 大正14年の上高地は秘境だった。

 「上高地の美は、雨によってことに発揮される。

 雨の上高地は、翠緑の渓谷をにわかに黄金のいろどりに変ぜしめる。どういうふうにこの渓の物象が移り変わっていくか、つくづく眺めよ。

 ‥‥まず煙のような蒸気をなびかせる。緑の木々は見る間に萌黄色がまさっていく。樹木の緑のうねりは、霧の晴れ間に特にうるわしい。」

 「月夜の上高地、月のまだ上がらぬ前は、まず霞沢一帯の峰は明るみを帯びてくる。しばらくすると、白い太い光が白銀の矢のように、峠を越えて対岸の穂高の連峰へそそがれる。月が少し山の端に現れ、あれあれと思っている間に、その姿が山を離れ、八月の月とは全く違って、平地の十月そのままの月である。月が六百山にかかると、冷たい霧は林や川面にたちこめてくる。この時の霞沢一帯の山と、梓川のほとりのうるわしさは、いかなる言葉をもってしても、これを表すに十分ではない。そして月のなんと近く見えることか。」

 

 今朝、散歩で出会った人と山談義をした。その人は60代ぐらいに見える。先日常念岳に日帰りで登って来たと言った。「すごい健脚ですねえ、私はもう山には登れません。」と、ストックをつきながらため息をついた。