トーマス・マンの小説「魔の山」の春



 トーマス・マンの長編小説「魔の山」は、スイスのダボス高原の奥、標高1600メートルほどの高地につくられた結核患者のサナトリウム「ベルクホーフ」が舞台になっている。アルプスの自然を背景にした国際サナトリウムで、ドイツはもとより、フランス、イタリア、ギリシャ、ロシア、はてはメキシコからも療養客たちがやってくる。清澄な空気と降り注ぐ日光のもと、療養客たちは治療を受けながらもコンサートを聴き、教会へ行ったり山を散策したりして、互いに親しく交わり合って暮らしている。そこにかもし出され紡がれてくる人間の、多彩で豊饒な関係や、登場人物の語る哲学・思想・科学、社会についての精緻な対話の奥深さには圧倒される。旧制松本高校で学び後にドイツ文学者となった小塩節は松高教師であったドイツ文学者望月市恵に習った。穂高に住んでいた望月市恵は「魔の山」などマンの多くの著作を翻訳していた。小塩は「魔の山」について、「二十世紀前半のヨーロッパ思想のありとあらゆる問題をぶち込んだ、魔的試験管の中での現代的教養小説である」と書いている。
 アルプスの自然は豊かで荒々しく、8月に猛吹雪が荒れ狂うこともあれば、10月なのに夏のような強い日射しが照りつけたかと思うと1時間後に真冬のように変化することもある。冬に患者が亡くなると、密かに他の療養客たちに気付かれないように、遺体はそりに乗せられて、雪の中を下ろされる。
 サナトリウムの冬と春をマンは描く。(高橋義孝の訳)
 <深く雪に閉ざされた冬の谷はといえば、その尖頂、円頂、しわひだ、褐色と緑色と淡紅色に染め分けられた森々は、時間の中にひっそりと立っていた。静かに流れていく地上の時間に包まれて、あるときは深い紺碧の空に照り映え、あるときは煙霧におおわれ、あるときは落日の光で上方が薄赤く燃えるかと思うと、あるときはあやしい月夜にダイヤモンドのように硬く冷たくきらめいた。しかし、六か月、疾駆し去ったとはいえ、想像を絶するばかりに長いこの六カ月以来、谷はいつも雪の中にあった。療養客たちはみな、雪を見るのはもうたくさんだ、雪はうんざりさせる、雪を見たい気持ちは夏だけで十分満足させられてしまったのに、いまでは明けても暮れても積雪だ、雪の山、雪のしとね、雪の斜面、度が過ぎて、人間の我慢できることじゃない、精神も気持ちも殺されそうだ、と言いあった。>
 それでも時は移り、春が来る。
<水がいたるところで滲みだし、したたり、さらさら流れ、森では点滴と雪崩があり、シャベルでかきよせられた街路の雪垣も、草原の青白い雪のじゅうたんも、あまりに多量で急に消えてしまうというわけにはいかないまでも、消えていった。すると谷の療養散歩道に、不思議な現象、いまだかつて見たこともない、童話めいた春の驚異が現れた。そこにはひろびろとした草原があって、その背後には、まだすっかり雪におおわれたシュバルツホルンの円錐状の頂がそびえ、そのすぐ右手には、これまた雪にうずもれたスカレタ氷河が見えた。どこかに乾し草を積み重ねてある野原もまだ雪につつまれてはいたが、上層の雪はもう薄くまばらで、粗く黒い地面がところどころに盛り上がり、いたるところで枯れ草がのぞいていた。しかし、散歩者たちが気付いたように、この牧場に見られる積雪の具合は均等ではなかった。遠く森の傾斜にむかってだんだん深くなっていたが、近く、観ている人びとの目前では、まだ冬枯れて色あせた草に雪は点々とまだらに、花のように残っているのみだった。彼らはそれをもっと近くから見て、驚いてその上にかがみこんだ。それは雪ではなかった。花だった。雪の花、花の雪、白と淡青色の茎の短い小さな花冠、間違いなくサフランだった。雪解け水のにじむ草も、地から無数に、雪とみまごうばかりぎっしりと、萌え出でて、遠ざかるにつれて雪とわかちがたくなり、雪に変わっているのであった。彼らは自分たちの錯覚を笑い、目前の春の奇跡、けなげにもまっさきに再び地上に躍り出た有機生命の、この可憐にもおずおずとした、周囲をまねる順応ぶりを笑い興じた。彼らはそれを摘み取り、やさしいさかずき形の姿を観察吟味し、それをボタン穴にさし、持ち帰って部屋のガラス瓶にいけた。
 しかし花の雪もまた本物の雪に覆い隠された。サフランの次に出た青いイワカガミダマシや、黄と赤のサクラソウも同じ運命に襲われた。全く、戦いぬいてこの地の冬を征服するのに、春はなんと苦闘したことか。春は十度も撃退された末に、やっとここに地歩を占めることができたのである。
 白一色だった草原の緑は、目になんとやさしく快い恵みだったことか。
 草原の緑にまさる、もうひとつの緑があった。それは落葉樹の若い針葉だった。ハンス・カストルプは療養散歩の途上、それを手でいつくしみ、それで頬をなでてみずにはいられなかった。そのしなやかさ、初々しさは、抗しがたく愛らしかった。「植物学者になってもいいね」と青年は道連れに言った。
「冬が終わって自然がふたたび目覚めるのを見る喜びから本気で植物学に興味を持つようになりそうだ。ね、君、あれはリンドウだよ、あの斜面に見えるのは。こっちのそれは黄色い小さなスミレの一種だ、ぼくの知らないものだが。ここにキンポウゲがある。これはめずらしく八重咲きだ。」>
 ハンス・カストルプといとこのヨーアヒムの対話である。時間というものは何だろう。病気は彼らの体内で進行したりとどまったりしながら時間は経過し、精神の営みは自然界の営みと交わり織りなしていく。
 そして暦では夏ではあったが、山は春になったばかり。
 <谷間の斜面や草原のエメラルド色の若草から、なんと多くの有機生命が、星の形、杯の形、鐘の形、あるいはもっと不規則な形をなして、うららかな空気を乾いた芳香で満たしつつ姿を現したことか。おびただしくむらがり咲いたムシトリナデシコと野生の三色スミレヒナギク、マーガレット、黄と赤のサクラソウなど、ハンス・カストルプが平地で見たおぼえのあるものよりも、といっても彼が下界でそういうものに心を留めたかぎりにおいてであるが、はるかに美しく大きかった。さらに、この地域だけに見られる、青、紫、バラ色のイワカガミダマシが、繊毛のついた鐘の状小さな花を咲かせて、うなずいていた。>
 ハンス・カストルプはそれらを摘んで持ち帰り、植物図鑑で調べ、虫メガネで観察するのだった。
 いま日本の春、名も知らぬいろんな草花が咲き始めている。安曇野の田の畔にも草が生え始めている。