大逆事件は、無実の罪で24名が死刑に処された明治時代の大事件。
詩人佐藤春夫は明治44年、同郷の医師が、でっち上げられた罪で処刑されたことを哀しみ、皮肉と怒りを秘めて、慟哭の詩を詠んだ。
愚者の死
1911年1月23日 大石誠之助は殺されたり
げに厳粛なる多数者の規約を 裏切るものは殺さるべきかな
死を賭して遊戯を思ひ 民俗の歴史を知らず
日本人ならざるもの 愚なるものは殺されたり
「偽より出でし真実なり」と 絞首台上の一語 その愚を極む
われの郷里は紀州新宮 彼の郷里も我の町
聞く 彼が郷里にして わが郷里なる
紀州新宮の町は恐懼せりと うべさかしかる商人の町は歎(なげ)かん
――町民は慎めよ 教師らは国の歴史を更にまた説けよ
大石誠之助はクリスチャンだった。アメリカに留学して医学を学び、新宮に帰って医師となった。ひとびとの信望厚く、先進的な医学の師だった。貧乏人からは治療費を取らず、金持ちには歯に衣を着せず批判した。大石は幸徳秋水らと交流があったがために、でっち上げられた大逆事件によって検挙された。
一方的な裁判で、無政府主義者、社会主義者ら26人のうち24人に、死刑が宣告され、12人が処刑された。
佐藤春夫は、「愚者の死」、
与謝野鉄幹は、「誠之助の死」、
永井荷風は、「花火」
心ある詩人、文学者は、国家権力の弾圧を避けるために、次々とその非道を言葉にくるんで告発した。
明治のこの歴史は、記憶にとどめておかねばならない。