日本人の歴史認識と小説「真空地帯」

 今朝、89歳の人の投書に注目した。福島県の人だった。
 <戦後間もなく見た映画『二等兵物語』の一場面を今も鮮明に覚えている。軍隊の内務班で食事の場面だった。二等兵がアルミの食缶を提げて入ってきて何につまずいたのか転んで、床一面に汁をまき散らした。途端に満員の客席から声が上がった。半分ほどは大きな笑い声であった。残り半分はアッと息をのみ、その後の場面に慄然とする人々であった。私も後者であった。戦争末期の食糧難の軍隊で、初年兵のミスで食事ができなくなったら。古参兵によるリンチがどれほどすさまじいものであるか、想像できたからである。戦後生まれの政治家がこれを見たら、大声で笑うのではないか。悲惨な戦時中を生きた者には、実体験から暗黙の了解で共有できる歴史認識がある。この認識を持たない政治家は知識と想像力で補うべきだろう。いまこの認識を欠く政治家が多いことに、暗然たる思いがする。>(朝日「声」、2・6)

 野間宏の小説「真空地帯」は、日本の軍隊にどれほどすさまじい暴力がはびこっていたかを実に詳細に描いている。この小説の舞台は戦場ではなく、教育・訓練の場である「内務班」であった。「内務班」とは兵営内の日常生活単位で、中隊がいくつかの内務班に分かれ、下士官班長になった。
 野間宏は、1941年、大阪歩兵第37連隊歩兵砲中隊に入営。そこで内務班の生活を体験して、戦場となるフィリピンに送られた。しかしマラリアにかかり、内地に戻って入院治療に入る。ところが左翼運動の前歴を詮索され、治安維持法違反容疑で軍法会議にかけられた。そして大阪陸軍刑務所に送り込まれた。小説「真空地帯」はその実体験が元にもとづいている。舞台も大阪歩兵連隊である。
 「真空地帯」に、次のような描写がある。食事の準備をしていた初年兵が、汁桶を引っくり返した。学徒兵だった。

 「飯桶と汁缶とが班内にはこびこまれて、食器につぎわけられようとするとき、初年兵が事故をおこした。
 『初年兵の野郎がよー、汁桶をひっくりかえしやがって、今夜は一斑だけ菜なしだとよー』
 上等兵は頬に奇妙にうれしげな笑いをのぼせてかえってきた。
 『どこでって、そこよー。階段の踊り場のところみてきてみろ‥‥汁をまきやがって、安西のやつ汁のなかではらばいになって、口ぱくぱくしてるよ。』 ‥‥
 廊下の方から現役兵の一人が入ってきた。何か特別な憎しみを中心とした特別な感情が人々のうちに動いていた。それは半分空になった汁缶をさげてかえってきた安西、田川の二人の二等兵の上におおいかぶさった。地野上等兵の前で安西二等兵はいつものように背を少しかがめてメガネの向こうで眼をしょぼしょぼさせていた。背の高い田川は全身の力を四角なあごにあつめて胸元に引き寄せ直立しようとするが、彼の体はひとりでに右にゆがんで、皆を笑わせた。彼は、
 『田川、安西は汁カンを不用意のためにこぼしました。申し訳ありません』
と繰り返した。
 『上等兵殿、自分たちはどうすればよろしいのでありますか。』
 『そんなこと、俺あ知るかい!』
 上等兵は太いのどをいっそうふくらませていた。
 『大学へ行ってな、先生に教えてもろてくるんやな。』
 彼は声を低めて、いやな響きの声で言った。‥‥
 彼は初年兵にメガネをはずせと言っておいて、つづけさまに拳骨でほおをなぐりつづけ、床の上に倒した。そして二人は班内の兵隊の一人ひとりに汁をこぼしたことについて許しをうけてくるようにいった。」

 小説「真空地帯」では、陸軍刑務所での2年間の服役を終えた木谷は、1944年の冬に大阪歩兵聯隊歩兵砲中隊に復帰する。木谷は上官の財布を窃盗した疑いで軍法会議にかけられ、反軍思想の持ち主とみなされたのだった。内務班の兵隊は現役古参兵と初年兵の学徒兵、応召してきた中年の補充兵ばかりであった。
 激しいリンチや制裁がまかり通る軍隊は、階級性が支配する「真空地帯」だった。
   一ッ 軍人は忠節をつくすを本分とすべし
 軍人勅諭の一節であった。
 木谷が軍法会議にかけられたとき、一冊の木谷の手帳を検察官は問題にした。手帳には、次のような言葉が並んでいた。
 「将校商売 下士勝手 兵隊ばかりが国のため
 兵隊はなぐればなぐるほど強くなり/御用商人はしかればしかるほど出し/部隊長ははこべばはこぶほどよろし‥‥」
 木谷が軍法会議に送られ有罪判決を受けて、陸軍刑務所に入れられたのは、上官たちの経理の利権と権力闘争に利用されたためだった。
 小説は、またも隊長の利権によって木谷が犠牲者となって戦地へ送られていく場面で終わる。