木
木は黙っている
木は歩いたり走ったりしない
木は愛とか正義とかわめかない
ほんとにそうか
ほんとにそうなのか
木はささやいているのだ
ゆったりと静かな声で
木は歩いているのだ 空に向かって
木は稲妻の如く 走っているのだ 地の下へ
木はたしかに わめかないが
木は
愛そのものだ
それでなかったら 小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ
それでなかったら 地下水を根から吸い上げて
空にかえすはずがない
老樹
ひとつとして同じ木がない
ひとつして同じ星の光の中で
目覚めている木はない
詩人の川崎洋は、この詩に関連して、こんな話を書いている。
「枯れかかった老木に手当てをして元気にさせる、木の医者ともいえる園芸家の話を思い出します。大阪市平野の杭全(くまた)神社境内にある樹齢二千年の大クスノキが、枯死寸前だったのをよみがえらせた山野忠彦さん(当時90歳)は、木の手当てをするとき、その木と話をするそうです。そうすると木のどこが病んでいるのかが分かるそうです。」
杭全神社とは、なつかしい。ぼくは小学生の時に叔母に連れられて、古い歴史ある杭全神社の祭りを見たことを思い出す。「夕映えのなかに」に登場する、中学生の時の、猛烈なツッパリ連中、シンは今、杭全神社の近くで居酒屋を開いている。シンの仲間の良一は、一時韓国青年同盟に入り、韓国の民主化闘争に加わっていたが、その後30年余、行方不明のままだという。バッフ,ーンは、不動産屋で非正規で働いているらしいが、シンの店の前を通っても、もう店に入らなかったという。
あの頃の、ツッパリ10人衆と、会いたい。