ヒロシマ原爆によって全滅した広島一中(旧制中学)は爆心地から800メートルしか離れていなかった。校舎は一瞬にして倒壊し、生徒359名と教職員12名が命を奪われた。
ひとりの生徒の母、藤野としえは、手記「星は見ている」をつづった。
原爆投下の前日、夕方暗くなってから息子の博久(一中生徒)が二階から屋根に上って、母としえを呼んだ。母も屋根に上って並んで腰を下ろすと、灯火管制で真っ暗な街の上空に星が輝いていた。なんと美しい星空だろう。
「お母さん、兄さんはもうすぐ死ぬのでしょう。ぼくは悲しい。」
博久はそう言って泣き出した。兄はもうすぐ航空士官学校を卒業し、戦場に行くことになっている。
博久と母はこんな会話をした。
「どうして戦争なんか起こるのでしょうか、止めてほしいなあ、日本にないものはアメリカから送ってもらい、フィリピンにないものは日本から送ってやり、世界が仲良くいかんものかしら。そしたら世界が一つの国になって、世界国アジア州日本町広島村大字上柳になるね」
「博ちゃん、あんた作文書くときは注意しなさいよ。やたらに書いたら、憲兵が引っ張りに来るよ」
その翌日、原爆の投下があり、広島は一瞬にして壊滅、焦土となった。幸い藤野としえは助かり、登校していた息子をさがしに行く。手記はその時のことを詳細につづっている。そしてこんな文章がある。
「前の夜、博久はどうしてあんなに星のことを言い出したのだろう。私の胸には、博久の一つひとつの言葉が、痛いほどの思いで迫ってきました。美しい星空はすこしも違っていないのに。地上は焼け野原となっています。そこにはかろうじて生命を保っている人の苦しみうめく声が満ちていました。
戦争はやめてほしい、戦争はやめてほしい、戦争というものはこの地上からなくしてほしい、
子どもが前夜言ったことを、私は思い出しました。あの言葉は、14歳の少年の言葉ではない、神の言葉だと思いました。」