「在日」の歴史を知る<2>




 韓国を植民地に併合した1910年、石川啄木は、
     地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ 秋風を聴く
と詠んだ。韓国併合は8月、その2か月前に幸徳秋水無政府主義者が一斉に逮捕される大逆事件が起こっている。天皇暗殺を企てたという無実の罪で、逮捕された幸徳ら12名は翌年死刑に処せられた。大逆事件に啄木の衝撃は大きかった。そして8月の韓国併合を知る。地図のうえの朝鮮国に墨を塗ったというのは、実際に筆で墨を塗ったというよりも、心の中の朝鮮国をくろぐろと塗りつぶした、啄木の悲憤、慨嘆を感じ取る。日本は冬の時代に向かっていた。
 それから二つの大戦を経て、1945年8月、日本敗戦、朝鮮解放、消された朝鮮国はよみがえった。
      祖国なき 民悲しかり 韓(から)びとは 事あるたびに 海を行き来す
 リカ キヨシは植民地時代のことをこう詠った。そして祖国が解放となったとき、
      今宵ラジオに 寄りて喜ぶ ちちははの 国の言葉を われは解せず
と詠んだ。韓国人でありながら、祖国喪失の時代では、日本にいて日本人として生きざるを得なかった。だから祖国解放を喜ぶ父母の国の言葉を理解できなかった。植民地下にあった人たちも日本本土で差別されてきた人たちにとっても、祖国解放は大きな喜びであった。
     うらやましいほど この夏の夜を 笑ひこける 朝鮮人たちだ 解放された
                        高橋昭雄
     濁音のなき日本語きこゆ 学生が二人立ちゐて 日本を罵倒す
                        五味保義
 「濁音のなき日本語」を話す人々、それは朝鮮語を話す人が日本語を話すときにそういう発音になった。関東大震災の時、自警団はこの発音の人たちを虐殺した。五味は師範学校の教諭だった。殖民地下のそれまで耐えてきた学生たちの気持ちが、日本敗北の瞬間に解き放たれたのであろう。日本への批判が爆発し、これまでは声に出すことができなかった言葉を発したのだ。
 解放後、南朝鮮は米軍、北朝鮮ソ連軍が占領、そして1948年に大韓民国朝鮮民主主義人民共和国に分裂して独立した。その分裂は、1950年、朝鮮戦争という奈落に落ちて行くことになる。「昭和万葉集」に収録された歌を読む。
     比治山に 平和の歌碑の 立ちし時 三十八度線の 戦おこる
                        黒郷仙治
 原爆によって焦土となった広島、その比治山に平和を祈念する歌碑が立った。原爆投下から5年後であった。そのとき、隣国ではまたもや戦争が始まったのだ。日本は米軍の兵站基地となった。
     絶え間なく 戦車ひびきて 行く音を 夜更けの床に 吾は聞きけり
                        諏訪部幸子
 日本の基地から出撃していくアメリカ軍の戦車。夜更けに戦車の音を耳にする。皮肉にもこの戦争は、破壊された日本の経済に特需をもたらすことになった。
     何に使ふ兵器か知らね 黒々と貨車に積まれて 通りてゆけり
                        土屋克夫
 「昭和万葉集巻九」にあり。
 「在日米軍は日本の全国各地の基地、弾薬庫から兵員、武器、弾薬の輸送を開始。二週間で臨時軍用列車245本(客車のべ7324両、貨車のべ5208両)、九州の小倉、佐世保などに、国鉄軍事輸送史上最大の動員輸送が行われた。富士山麓や相馬が原では韓国軍部隊の訓練が行われた。米軍は、東京横浜の市街地、関門トンネルの輸送制限を無視して輸送を強行した。」
     もろともに 同じ祖先をもちながら 銃剣取れり ここの境に
     興亡の 絶間なかりし 歴史なり 又も書き添へむ 三八線と
                         孫 戸妍 
 同じ朝鮮民族なのに、血で血を洗う激しい戦いとなってしまった。孫さんも同じ民族なのだ。
     南北の いづれの軍と 問ふなかれ 屍(しかばね)は 若き兵にあらずや
                         橋本喜典
 韓国兵か北朝鮮兵かどちらかと問うことをやめよ。死者に悲惨の違いはあるか。それも戦死した兵は若い兵ではないか。
     朝鮮の いくさといへど かなしみは 既に聾するばかり とどろく
                         森岡貞香
 「女人短歌」に収められた歌である。朝鮮での戦争ではあるが、耳が聞こえなくなるほどに悲しみがとどろいている。女性なれば母なれば、悲しみもまた深く大きい。
     京城を 郷として 帰り戦ふ金君よ 苦学して 直き青年なりき
                         生咲義郎
 「京城」はソウルのことである。そこが故郷であった金君は苦学してまっすぐな青年であった。彼は今帰国して戦っているのだ、と詠う。
     ニュース画面に 裸子(はだかご)ひとり 泣き叫ぶ その朝鮮に 寒さ至るべし
                         吉野秀雄
 戦場となった朝鮮、裸の子が泣き叫んでいる。もうすぐ冬がやってくる。この子はどうなるだろう。
 朝鮮戦争はぼくが中学一年の時に始まった。学校から教師に連れられてぼくたちは田舎町の映画館に映画を観に行った。映されたニュースは朝鮮戦争の映像だった。観ていた生徒のなかには、徐君ら何人かの在日韓国人もいた。あの時ぼくら日本人はほとんど興味本位であったが、徐君らはどんな思いであったろうか。
     戦は 海彼(かいひ)の国のことならず 地にふせば聞こゆ 底ごもるもの
                         君島夜詩
 戦争は海のかなたのことではない。大地に伏せば大地の底にこもっている戦いの音が聞こえてくるではないか。
     ことごとく 凍りてしまへる動乱の 朝鮮は遠し ふるさとのごと
                        増田文子
 冬の朝鮮はことごとく凍ってしまう。そこが戦場となっている。朝鮮は遠いが私にとってそこは故郷のように思える。
     憎しみは 憎しみを呼び 生き行かむ いかなる戦ひの 解決の後も
                         近藤芳美
 憎しみは憎しみを呼び、それでも生きて行くだろう。どんな戦いの解決の後も。憎しみを超えて生きていけないものか。
     永世に 平和を守るといふ意志の この国の場合の 弱き響きよ
                         唐津常男
 日本は憲法に永久の平和を誓った。だがそれを守るのだという意志が、この国では薄く感じられる。戦後70年、今の日本、この憂いをなおのこと強く感じる。
 戦前、護憲運動の先頭に立ち「憲政の神様」と呼ばれ、軍からは反軍的と目された尾崎行雄(尾崎咢堂)は、昭和17年、翼賛選挙を批判し不敬罪で起訴された。彼はこんな歌を詠んだ。
     反軍と 世にすてらるる 思想こそ 国民救ふ 基(もとゐ)とは知れ
 反軍思想は、国家権力や世の中の流れからは排斥される。だがその思想こそが国民を救うもとになるのだということを知るべきだ。今その思想は堅持されているか、尾崎の問いは今もなお強く響く。