敗戦の焼け跡で語られた「世界国家」構想

  

 1945年、大戦で全土が空襲で焼かれ、原爆を落とされ、無条件降伏した日本。米軍占領下、住むところなく、飢えに苦しむ日本に、いち早く戦後民主主義の構想を立ち上げていった人々がいた。

 敗戦後一年余、「世界国家」という雑誌が創刊された。主幹は賀川豊彦である。紙は乏しく、都市の印刷所は爆撃で焼かれ、資金も無いなかで、定価3円の小冊子は発行された。ページ数は32。

 その創刊号が、奈良県の名柄、金剛山麓の空き家に残されていた。家の持ち主は元近大教授の木村重起さんだった。

 「家は築80年です。あなたにあげます。中にあるものは何でも使ってください」

 2000年、ぼくら夫婦はそこに移り、自力で雨漏りの屋根を直し、壁のすき間をふさぎ、柱を補強して住んだ。古い家具、書物も残っていた。その中に「世界国家」創刊号があったのだ。

 戦後すぐの雑誌は粗末な紙で、茶色に変色していた。トップに座談会の記事が載っている。座談会メンバーは、駐米大使の堀内謙介、法学博士神川彦松、P・Gプライス、賀川豊彦の4人。

座談会で、語られていた一部を抜粋する。

 

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 堀内 国際連合が、「世界国家」に発展する可能性はあると思います。しかしそれには、強国がほんとうにその決心をしなければなりません。決心を促す原動力としては、科学の進歩と原子力の問題があります。原子力の発達によって、強国間の平和維持に関する不安が深刻になり、ひとたび戦争が起きれば想像も及ばぬ恐ろしい事態が発生する。これではとてもやりきれぬと、各国の国民が痛感すれば、国際連合を強化してさらに「世界国家」へと発展せしめることもできると思います。けれどもその場合でも、一足飛びに単一国家とはならず、「世界連邦」の形をとるでしょう。世界の世論も追い追いと「世界国家」の必要を認めつつあります

 エメリー リーブスが、「平和の解剖」に書いている意見は、世界平和の達成はもはや外交ではだめだ、根本的に戦争の原因を除かなければならぬ、しからば国家間の不和の原因はどこにあるか、その核心を突けば、それは各国家の主権にある。国家の名誉や国防線維持のために、戦争に訴えるのもやむを得ぬという、その根底を探れば、結局は主権の維持尊重ということに帰着する。その主権を棄てるか、制限するかしなければ世界平和は到来しない。それゆえに「世界法」のもとに「世界国家」をつくるほかない、というのです。そこで「世界法」なるものをつくり、その下に「世界国家」、「世界連邦」をつくる、私は現在の国際連合を強化してそれをやることを考えます。

 その「世界連邦」はいつ実現するのか、何世紀か先にできるだろうとなどと考えるのでは問題にならぬ。できる限り近い将来に実現せしめなければならない。それには原子爆弾が有力な動機になると思います。原子力なるものはどこまで発達するか見通しがつかない。これがうんと発達すれば、どんな強大な軍を備えても役に立たなくなる。原子爆弾は、将来はロケットで三千マイルの遠方から発射して的確に命中せしめることができるだろうとウォルターリップマンは言っている。一度戦争になってこれを使用するとなったら、その惨禍はとうてい今回の大戦の比ではない。だから原子力の発達が「世界国家」をつくる大きな動力になる。そこで最も早い方法は国際連合を強化して「世界国家」に押し進めることだが、現在の国連の安保理事会には大国の拒否権の問題がある。これが国連の弱点になっている

 プライス 現在の国連は不完全ではあるが、やがては「世界国家」のほうへ進んでいくと思う。私どもとロシアの人々とは大分考え方が違うので、いろいろ問題はあると思うが、いつの日か、各国家は各々の主権を放棄して、「世界国家」を組織するでしょう。無論この問題は大きな問題で、理想通りには運ばないでしょうが、アメリカは大戦後、この問題に非常に関心を持ってきました。私はどうしても「世界法」なるものができなければならぬと思います。これは単なる法律の問題ではなく、精神問題です。各国が、正義を目標として行動するに至れば、必ず「世界国家」の方向へ進むと思います。

 神川 人類歴史は戦争の歴史なのですから。理想と現実との間のジレンマを感じます。平和と、正義や自由平等のイデーとが簡単に一致するかどうかが問題で、私はいかに平和が尊いとしても、その維持のために、正義、自由、平等のイデーを犠牲にしてはいかんと思います。現在の世界の平和は、強大な武力の強制に待つほかはない。その強制的平和が、個々人の人格の尊厳や、各国家民族の正義、自由と調和するかどうか、それが大きな問題です。人格の尊厳、正義、自由の問題を別にして、単に平和実現のために、「世界国家」ができればよいと簡単に考えるわけにはいかない。

 見方によっては、現在の国際連合は一種の「世界連邦」だと言えないこともない。ただ現在の国連では、三大国があまりに自由を持ちすぎるから「世界国家」にならない。現在の国連では各メンバーの実力、インポータンス、地位というものにあまりに距離がありすぎる。小国の自由、尊厳、正義が抑えられる恐れがある。それでは理想と一致しない。国連が「世界国家」となったとして、そこに正義、自由平等、民族性、特有の文化が尊重され、繁栄せしめられるかが大きな問題です。私は、地域的連合体が必要だと思う、それが平和確保に役立つと思う。世界平和を確立する前提として、地域的団結のできることです。武力的な団結ではなく、文化的伝統的、経済的な団結です。結局は、「世界国家」、「普遍共和国」という理想的団結に到達しなければなりません。そこまではまだまだ長い道程です。

 

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 抜粋して一部をここに掲載した。それから77年がたつ。平和はどうか、人権はどうか、国連を無視してロシアはウクライナに侵攻し、多くの国で平和、自由、人権がおびやかされ、人類は、世界は、進歩しているとはとても思えない。

 賀川豊彦社会運動家キリスト者。貧民救済、労働運動、農民組合、協同組合などに活躍した。敗戦後一年余で、「世界国家」構想を発信していた。