宮沢賢治の世界

 

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 辻「宮沢賢治は、動植物をはじめ、無生物も含めたものたちからなるコミュニティ、社会を考えていた。それって今から思えば、エコロジーの世界だ。インドの哲学者、ヴァンダナ・シヴァは、『アース・デモクラシー』と言っている。今では多くの科学者が、すべての種が投票権を持った、国連ならぬ『全生命連合』に大まじめに言及している。

 賢治の『なめとこ山の熊』は、動物たちや、人間たちを、同列の参加者とした一種の民主主義、社会の在り方を考えている。

 賢治からずいぶん遅れをとったけど、ぼくらもやっと、そういう時代に来ているんじゃないかと思う。

 民主主義はまだ始まっていない。国家などという枠組みのないところで、多様性を犠牲にすることなく、一種の調和をつくっている。生物多様性という言葉では言い足りない。自然界は無限でそれでいて完全な調和をつくりだしている。

 多様性は、言い換えると『雑』である。『雑』が調和であるという理想を表現しているのが自然界だと思う。

 『ハッピーリトル・アイランド 長寿で生きるギリシアの島』(ニコス・ダヤンダス監督)というドキュメンタリーがある。経済危機で絶望した若いカップルが、新天地を求めて地中海の島に移住していく話。そこでは、自給型の暮らしがまだ生きていて、お金を追いかける生き方なんかしなくていい。そこには共同体精神が生きている。巨大債務を抱え、返済金が多額のギリシアばかりをメディアは報道するが、そうではない生き方がそこにはある。」

 高橋「今の民主主義の問題を考えるうえで、2500年前の古代ギリシアの民主主義を考える。ネイティブアメリカンの民主主義を考える必要がある。もっと長いレンジでものを考える必要がある。古代のギリシアは2500年前から今の事態を予測していたのかもしれない。」

 

 「賢治からずいぶん遅れをとったけど、ぼくらもやっと、そういう時代に来ているんじゃないか」。でも人間の社会では、ほんとうに民主主義と言えるものはまだ始まっていない。「国家などという枠組みのないところで、多様性を犠牲にすることなく、一種の調和をつくっている。生物多様性という言葉では言い足りない。自然界は無限でそれでいて完全な調和をつくりだしている」、宇宙自然界はそうなっている。すなわち「雑」の調和。しかし、それを破壊してきたのも人間の文明だった。